昨夏、聖光学院のエースとして聖地のマウンドに立った安斎叶悟(きょうご)投手(3年)は野球人生に終止符を打ち、公務員専門学校へ進学する。入学前から抱いていた両親や地元・福島県二本松市へ恩返しがしたいという気持ちは、強豪のエースとして脚光を浴びた今も変わることはなかった。安斎が3年間で得た経験を生かし、新天地での成長を誓った。

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導かれるように入学を決意した。聖光学院は07年から夏の甲子園に13年連続出場。「福島=聖光学院」のイメージが定着していた。当時中学生だった安斎は「このイメージを払拭して歴史を変えたい!」とライバル校へ進学するつもりだった。だが、新型コロナウイルスの影響で20年夏の大会は中止。独自大会で同校の試合を観戦した安斎は、ナインがひたむきに白球を追う姿に衝撃を受けた。「先(甲子園)がない大会なのにどうしてここまで全力になれるんだろう…」。その瞬間、対抗心が「ここで野球がしたい」という気持ちに変化した。

それまでは野手の経験しかなかったが、高校では投手を志望。痛いほど感じた力の差に何度もくじけそうになったが「今は自分が一番下だから落ちることはない。ここからはい上がるだけ」と下を向かなかった。何度も壁を乗り越え、迎えた3年の夏、安斎はエースとして甲子園のマウンドに立っていた。目標の全国制覇には届かなかったが「投手全員で戦えたことがうれしかった。あきらめずにひたむきにやってきて良かった」と振り返った。

同校入学前から「安定している」という理由から公務員になるのが夢だった。中でも市役所職員としての採用を目指す。そのため、公務員専門学校進学を決めた上で入学。強豪校のエースとして聖地のマウンドに立ち、野球を続ける道やスポーツインストラクター、柔道整復師など、スポーツに関わる職業も視野に入れたが、決断は揺るがなかった。固い決意の裏には「ここまで不自由なく充実した環境で野球をやらせてくれた両親と、声援を送ってくれた地元(二本松市)に恩返しがしたい」という強い思いがあった。さらに「甲子園を目指す球児のサポート」をしたいというもうひとつの夢がある。「3年間の学びは一生の財産」。培った経験を武器にこれからの輝く未来を切り開く。【木村有優】

◆安斎叶悟(あんざい・きょうご)2006年(平18)1月8日生まれ、福島県二本松市出身。小1年時に川崎スポーツ少年団でソフトボールを始め、安達中時代は軟式野球部に所属。聖光学院では2年秋に背番号「17」をつけ公式戦デビュー。昨夏はエースとして投手陣をけん引した。171センチ、71キロ。左投げ左打ち。