帝京長岡(新潟)の「3番右翼」で先発した川村光翼(こうすけ)外野手(3年)が、2つのチームで甲子園に出場し、初安打を放った。
9回裏2死走者なしから、内角直球をうまくさばいて右前へ運んだ。
川村は24年夏に木更津総合(千葉)の1年生として甲子園でベンチ入りを果たしている。
◆異なる2校で甲子園出場 転校による規定が厳しくなかった戦前には数人みられ、堀龍三外野手は1920年夏に関西学院中、翌21年夏に和歌山中と異なる学校で2年連続優勝した。47~50年に阪急の監督兼任投手として48歳まで投げていた浜崎真二は、17年夏に広島商、22年夏に神戸商で出場。48年には春に出場した金沢三中の主力メンバーが全員、大会直後の学制改革で新制となった金沢三高(現金沢桜丘)にそのまま移らず、男子校の金沢一高(現金沢泉丘)に転校して同年夏に出た例がある。

