3年前の夏だった。佐渡が初の新潟県大会決勝に進出した。奇跡が起きるかもしれない。そんな思いで県内だけでなく首都圏からも多数のOBたちが駆け付けた。

 残念ながら延長11回、2-3の惜敗。試合後、世代の近いOBたちで残念会を催した。「いい夢を見させてもらったよな。でも、創部46年で初決勝だから次のチャンスは50年近く先か?

 もう俺たちは生きてないよな」などと酒を酌み交わした。

 だが、この準優勝が大きな契機となった。有望選手の島外流出が止まった。昭和50年代に島内の他4校も硬式転向し、分散傾向にあった戦力が再び集まり始めた。

 昨年8月、帰省した際に秋季大会シード決定戦を見に行った。1、2年生の新チームの部員は40人以上。ネット裏には「佐渡から甲子園」とプリントされたそろいのTシャツを着た父母会が陣取っていた。

 週末には試合相手を求めてカーフェリー始発便に乗り、夜遅くの便で帰島する。「遠征」を強いられる地理的、経済的ハンディを、甲子園の味を知る監督の情熱と、父母たちの献身的な支援で力に変えた。

 片手間仕事の「監督先生」に耐えかね、部員たちで校長に懇願して外部から「ボランティア監督」を招へいしたり、年イチ遠征が精いっぱいだった「あの頃」とはまるで違う。そんな環境に育まれた後輩たちが50年越しの夢をかなえてくれた。【三浦基裕・代表取締役社長=1975年(昭50)卒・野球部OB】