<高校野球東東京大会:日大一4-0青山学院>◇8日◇1回戦◇都営駒沢

 東東京大会が本格開幕し、「8時半の男」の孫が、「1時半」に登場して、快投を演じた。元巨人投手の故宮田征典さん(享年66)の孫、日大一・宮田孝将投手(3年)が公式戦初登板で完封デビューを果たした。5安打2四球で昨夏8強の青山学院を抑え込んで、好発進した。

 最後の打者の飛球が三塁手のグラブに収まると、宮田は笑顔で整列に駆け寄った。練習試合でも経験のない完封を公式戦初登板で成し遂げてしまった。「自分の力だけでは抑えられない。バックを信じて投げました」と謙虚に話した。

 本家は夜の「8時半」が出番だが、「背番号9」の宮田は「1時半」ごろにマウンドに上がった。169センチ、75キロのがっちりとした体だが、スタイルは軟投派。祖父と同じスリークオーターから、時にはサイドから最速は120キロ程度、カーブ、スライダーを丁寧に投げ分ける。度々大きな飛球を左右に打たれたが、ことごとくファウルラインの外へと切れて行く。まるで抜群の制球力で打ち取っていった祖父を思い起こさせる投球術だった。

 「1番右翼」で出場した昨夏は1回戦で国士舘に敗れた。無安打に終わり悔し涙を流した。「勝ちたい」との思いを強く持つようになった。中学時代に投手経験はあったが、高校入学後は制球が悪く、野手に専念。「勝つためには何でもやろう」と昨秋から投手練習を再開したが、制球難に苦しんだ。エース村上慶悟(3年)も好調だったため、公式戦では出番がなかった。

 4月、夏を勝ち抜くために、再び本格的な投球練習を始めた。ダルビッシュ有(レンジャーズ)が、不調の時に腕を下げて好投したことをヒントに、スリークオーターから右腕をさらに下げてみた。制球が安定するようになった。「自分に合っている」と確信し、今のフォームが出来上がった。

 プロでは投手コーチとしても多くの投手を育てた征典さんからは「小学生で野球は早すぎる。中学に入ったら教えてやる」と、言われていた。小6の夏に征典さんは亡くなり、「教えてもらいたかった」と今でも無念そうだ。昨夏8強の青山学院を撃破し「優勝したい」と意気込む。天国の祖父に、自らの手で1勝を捧げた。【茶木哲】

 ◆宮田孝将(みやた・たかまさ)1994年(平6)11月23日、東京都出身。小学生の時はアメフト経験も、日大一中入学後から野球を始める。169センチ、75キロ、右投げ左打ち。

 ▼8時半の男

 巨人のV9がスタートした65年、日大から入団した宮田は4年目だった。前年日米野球でリリーフ専門投手がいることを知った藤田投手コーチが「投手分業制」を提案。同コーチは、宮田が内臓が弱く長いイニングを投げることに不向きな点を見抜き、リリーフに専念させたいと川上監督を説得し起用した。登板が7回以降でちょうど8時半ごろであったことから「8時半の男」の異名がついた。抜群の制球力と「ミヤボール」と呼ばれたシンカーを武器に、65年の宮田は69試合20勝5敗、防御率2・07。