<高校野球秋季北海道大会:駒大苫小牧3-2札幌大谷>◇13日◇決勝◇札幌円山

 強い駒苫が帰ってきた。駒大苫小牧が初出場優勝を狙った札幌大谷に競り勝ち、8年ぶり4度目の優勝を果たした。2-2の8回裏、先頭の伊藤優希中堅手(2年)が右前打と敵失で三塁へ進塁。1死一、三塁から新山敬太捕手(2年)の左犠飛で決勝点を奪った。少年時代、全国制覇した黄金期のチームに憧れを抱いて入部した世代が、一丸になって夢をかなえた。来春のセンバツ(14年3月21日開幕、甲子園)出場を確実にし、明治神宮野球大会(11月16日開幕、神宮)の出場権を獲得した。

 駒大苫小牧ナインが、ついに「NO・1」ポーズを取り戻した。優勝が決まると一斉にマウンドに駆け寄り、人さし指を天高く突き上げた。王者に君臨した黄金時代のお決まりのポーズ。07年夏を最後に甲子園から離れ、しばらく歓喜の瞬間を味わうことはなかった。今春の道大会を制しても、甲子園を懸ける夏まで封印していた。「優勝したらやりたい」。そう話していた主将の小笠原貴久遊撃手(2年)は「やっとできて、最高の気分です」と満面の笑みを見せた。

 最も雪辱に燃える男が、決勝のホームを踏んだ。8回だ。2番の伊藤優が打席に入る。夏の南北海道決勝の北照戦、6回に自らの失策をきっかけに勝ち越されたことを悔やんできた。「絶対に出塁して、クリーンアップにつなげる」。思いを込めた打球は、右前へ飛んだ。雨が降りしきる中、相手野手が足をとられて後逸する間に三塁を陥れた。1死一、三塁となり、新山の一打は浅めの左飛。それでも「セーフになる自信があった」と果敢に本塁へ突っ込み、勝ち越した。

 少年時代に夢にまで見たチームが、まぎれもない「駒苫」だった。04年夏の甲子園初優勝は、今のメンバーが小学1、2年生の時。ちょうど野球を始めたばかりのころになる。「小さいころから憧れていた」「ここで日本一になりたかったから」…。誰もが希望を抱いて入学した。遊撃手として初優勝のウイニングボールをキャッチするなど、主将として甲子園で輝いた佐々木孝介監督(26)への尊敬の念は特に強い。強い駒苫を取り戻すため、厳しい練習に耐えてきた。

 先輩たちの悔しさも背負っていた。現3年生は、昨秋から3季連続で道大会決勝に進出。甲子園が懸かる秋と夏は敗れ、復権を果たすことはできなかった。試合後、控室で泣きじゃくる選手と一緒に佐々木監督も悔し涙を流した。レギュラーだった伊藤優は、そんな姿を見て「本当に悔しかった。監督を男にしてやろう」と心に誓った。3年生は引退後も毎日、練習に参加した。「同じ経験はしてほしくないという思いから」と高橋一真前主将。今大会直前には佐々木監督に「3年生対現役メンバー」の紅白戦を提案し、ブランクもあって3年生は負けたが、自信をつけさせた。

 聖地・甲子園から遠ざかること6年余り。小笠原主将は「監督が主将だった時には全然かなわない。けど、自分たちらしくプレーしたい」と1、2年生部員60人の思いを代弁した。まずは来春センバツの前哨戦、明治神宮野球大会に意を決して臨む。【保坂果那】

 ◆駒大苫小牧

 1964年(昭39)創立の私立校。生徒数709人(うち女子は297人)。野球部は創立と同時に創部され、甲子園は過去に春2度、夏7度出場。夏は04、05年に小倉(福岡)以来、57年ぶり史上6校目の連覇を達成。史上2校目の3連覇を狙った06年夏は決勝再試合で早実に惜敗。部員数60人。主なOBに楽天田中将大。OGには橋本聖子参院議員がいる。所在地は苫小牧市美園町1の9の3。小玉章紀校長。