<高校野球長崎大会:鎮西学院7-0長崎商>◇19日◇準決勝

 宮田優星(3年)の好投で鎮西学院が1941年(昭和16年)以来67年ぶりの県大会決勝進出を果たし、2年ぶり3度目の甲子園を目指す清峰とぶつかる。

 創部1901年(明治34年)。鎮西学院が新しい歴史の扉を開いた。41年(昭和16年)以来の決勝進出。当時は県大会後に地区大会があり、甲子園出場を決める決定戦出場となると、37年までさかのぼる。あまりに古い記録で「決勝進出は初めてです」と小田原慎監督(30)が言ってしまったのも無理はない。戦後初の決勝進出だ。

 26年ぶりだった準決勝でもナインはのびのびプレーした。エース宮田は初回、先頭打者に安打を許した。いきなり走者を三塁まで進めたが先制を許さず、7回を無失点に抑えた。「今日は外の直球が決まりました。挑戦者のつもりで投げました」と88球の省エネ投球で長崎商打線を打ちとった。打線は相手投手の制球の乱れにも助けられ4回までに5得点。三塁方向へ転がす絶妙のバントで揺さぶり、相手守備の乱れも誘った。「うちの子たちは普通すぎる。プレッシャーもないです」と小田原監督は力強くコールドで決勝進出を決めたナインをたたえた。

 171センチと小柄なエースがここまで4試合すべてで先発し、勝利を決めてきた。昨秋に準決勝で敗れてから、練習中にポール間を20本走り、練習後さらに20本走ることを小田原監督に義務づけられた。「最初はマジかよ、と思いました」という宮田だが、毎日続けることで球速は入学時から20キロ伸びて130キロ台に。体重も10キロ増え、夏の連投に負けないスタミナを身につけた。「決勝は2点以内に抑えれば味方が取り返してくれると思います」と宮田は力強く言った。

 この1年間、いつもあと1歩で涙をのんだ。秋の県大会では準決勝で敗れて九州大会出場を逃し、4チームが出場できる春は準々決勝で敗れた。6月のNHK杯では清峰に敗れ準優勝。「そろそろ天井を破れるんじゃないかな」と小田原監督。創部107年。悲願の甲子園初切符は目の前にある。【前田泰子】