名門の重圧を背負い続けた。「長い間、監督をやらせてもらっていてOBのみなさんに悔しい思いをさせてきた。まだ実感は沸かないが、ホッとした気持ちが大きいです」。中京大中京(愛知)の大藤敏行監督(47)は超満員の三塁側アルプスを見上げた。

 28歳だった90年。監督経験のないまま名門「中京」の監督に就任した。異例の人事だった。「光栄という気持ちと不安とが入り交じっていた…」。だが、チームは「最強」と言われたころとは様変わりしていた。愛知大会で無名の県立校に敗れた。厳しい指導に退部する選手も少なくなかった。学校改革もあり、98年に共学化。「進学校」と呼ばれ、思うように選手も集まらなくなっていた。

 選手にあった指導法を探った。ランニング、メンタル、栄養学…。バルセロナ五輪に出場した陸上短距離の杉本龍勇氏ら、専門家を招いて教えを請うた。今夏は控え選手に配慮してこれまで許さなかったリハーサルでの写真撮影も許可。選手と笑顔で写真に納まった。「進退をかけるつもりで臨んでいた」。直球1本やりだったが、今は緩急をつけて選手を指導する。青年監督が19年の時を経て出した答えだった。【桝井聡】