<高校野球秋田大会>◇24日◇決勝

 ノーシードの古豪が劇的な復活優勝を遂げた。能代商が第1シードの秋田商を5-4で破り、25年ぶり2度目の甲子園切符をつかんだ。序盤に2点を先行されたが、5回に3点を奪い逆転。追いつかれて迎えた8回に勝ち越し、4戦連続の逆転勝ちで52校の頂点に立った。3年後の統合で現校名が消滅する前に、悲願の甲子園再出場を決めた。

 9回裏2死一塁。「つかめば甲子園…」。石井翔成三塁手(3年)が、緊張しながらファウルフライを追い、気付くとつかんでいた。完投の2年生エース保坂祐樹は体を弓のようにしならせ、歓喜の渦に吸い込まれた。全校応援の前で涙が止まらない。「お前ら、落とすなよぉ」。「頼れる兄貴」と慕われる工藤明監督(34)が、笑顔で胴上げされた。

 「逆転の能代商」を見せつけた。0-2の5回表、2死から連打と四球で満塁。菊池飛鳥(3年)が右前への2点適時打で、ついに追いついた。さらに石井が中前に勝ち越し打。4番は一塁上で絶叫した。

 7回に追いつかれたが、心は折れなかった。8回表1死一、三塁。「思い切って振れ!」と送り出された代打の1年生・平川賢也が、期待に応え左前へ運んだ。この1点が25年ぶりとなる甲子園へ導いた。

 工藤監督は極度の重圧で胃痛止めを飲みながら指揮してきた。「県北地区の予選ですら決勝に進んだことがない」。85年の初優勝は、後に秋田商を春夏7度甲子園に導いた名将・小野平監督(61)。後任の川村寿紀監督(44=現五城目)も93年春の東北大会準優勝と実績があった。99年に就任した工藤監督は結果を出せず「風当たりが強かった。『辞めろ』と言われたし、辞表を用意して迷った」と苦悩していた。

 ある出会いで光が差した。07年夏に「がばい旋風」を巻き起こした佐賀北の百崎敏克監督(54)が、わか杉国体で秋田を訪れた。工藤監督は酒を飲みながら「選手と日誌を交換するといい」と教わった。それ以来選手と意見を交わし、一体感が増した。

 部室には初優勝時の新聞が飾ってある。写真はスクイズのシーン。ナインは「大先輩と同じように1点にこだわろう」とまとまった。13年の学校統合を前に悲願を果たした。工藤監督は「一戦必勝で立ち向かうだけ」と口元を引き締めた。25年の時をへて、再び「NOSHO」が聖地へ向かう。【木下淳】