中日森繁和監督(62)が、悲しみの中、気丈にタクトを振った。長女の矢野麗華(やの・れいか)さんが、前日7日に乳がんのために川崎市内の病院で、35歳の若さで亡くなった。それでも、いつもと変わらず柔和な表情で指揮した。試合2時間前の午後4時。ロッカー室に選手、スタッフ全員を集め、悲しい事実を伝えた。

 「(6日まで)東京で試合があったし、月曜日で休みだったし、久しぶりにゆっくり時間を過ごせた。天命、運命と思って俺は覚悟していた。1人だとどうしてもつらくなる。みんなには試合前に、1人にはせず、ユニホームを着て一緒にやらせてくれと言ったんだけどな」。試合後、少し声を震わせて言葉を絞り出した。6日の東京ドームでの試合後、名古屋には帰らず、寄り添った。いったん持ち直したと思い、新幹線に乗ったが、連絡を受けて名古屋駅で引き返したという。

 勝ちたい。この日は選手たちの気合が違った。先発の鈴木は7回1失点。監督は7月23日の広島戦でKOされた右腕を試合中、名古屋に強制送還していた。それ以来の再起戦。同じ広島相手に7回1死、菊池に中前打されるまで無安打投球を演じた。「翔太があれだけの投球をしてくれた。もう1回、はい上がってくる力。すぐに呼び戻せる状態になるヤツの方が俺は好き。今日は、そういうのが見えた」。意地を見せた22歳に、温かい目を向けた。

 8回以降は継投でしのいだ。電撃トレードを成立させた谷元から田島、伊藤、岩瀬、又吉と無失点リレー。延長12回まで戦い抜いた。04年に中日の投手コーチに就任して以来、ヘッドコーチ、監督も含めて合計12年。苦楽をともにした選手たちが必死に腕を振り、強力打線に立ち向かった。「勝てれば一番よかったが、勝てなくても広島相手にこういう試合ができたのがね」。62歳の将は笑みを浮かべて、会見場をあとにした。【柏原誠】