松坂が勝った! 中日松坂大輔投手(37)が、06年西武時代以来、12年ぶりに日本で勝利をつかんだ。ナゴヤドームでのDeNA戦に移籍後3度目の先発。再三のピンチをしのいで6回を3安打1失点にまとめ、日米通算165勝目を挙げた。右肘、右肩の深刻な故障で現役引退、打者転向も考えていた「平成の怪物」。この日が64歳の誕生日だった母由美子さんに、感謝の復活勝利を贈った。

 ベンチでハイタッチを繰り返す松坂は笑っていた。お立ち台でも涙はない。

 「めちゃくちゃうれしかった。勝った瞬間、みんなの笑顔が見られて、僕も自然と笑顔になった。喜びを爆発させるのもどうかと思ったけど、抑えられなかった。みんなに泣くかと思ったと言われたんですけど」

 初回、先頭神里に四球。いきなりの暗雲を女房役の大野奨が二盗刺しで吹き飛ばした。「本当に助かった」。ギアが上がった。調子は悪かったというが、蹴り足は全盛時のように体の前にはね上がった。最近まで、状態を24時間気にしていた右肩を鋭く振り抜いた。

 3点の援護を味方に、走者を出しても粘った。最大のピンチは5回1死満塁。場内から「頑張れ」の大拍手を受けて、ロペスを三ゴロで本塁封殺した。続く2死満塁。冷静だった。「甘く入って何点も取られるより、押し出しで1点でもいいかと」。森監督が「あいつらしい」と舌を巻いた現実策。1点は与えたが続く梶谷を一ゴロに仕留め、傷口を最小限にとどめた。6回は続投を志願。この日は中日移籍後最速の147キロもマークし、1失点、114球であとを託した。

 右肩の状態が最悪だった昨夏、引退を考えた。絶望の中、とんでもない選択肢が浮かんだ。「投手」の引退。つまり野手転向だ。ごく近い知人には「球団に申し訳ない」と打ち明け、本気で1日300球の打ち込みをした。3年12億円(推定)という巨額契約をしてくれたソフトバンクで、たった1試合の登板。恩返ししたい一心でバットにすがろうとした。そのうち右肩の状態が上向き、投手での現役続行を決めた。

 ただ、所属先がない。米国独立リーグ入りも模索した。「1年間、投げるトレーニングの時間にしてもいいかな」と“浪人”も考えた。「野球選手でいることはあきらめない。どんな形でも野球は続ける。家族にもそう言っていた」。僕はまだ投げられる。自信を持っての中日入りだった。

 この日は母由美子さんの64歳の誕生日だった。どんなときも、自分の記事や写真を楽しみにしてくれた。幼少時代、津軽半島の母の実家に家族4人、車で帰省するのが楽しみな少年だった。今でも母の日や誕生日の贈り物は欠かさない。最愛の母への最高のプレゼントになった。

 「ものには執着心がないけど、今日のウイニングボールは特別。妻と子どもに渡します。母には“勝利”だけで(笑い)」。米国に住む倫世夫人と3人の子どもたちとは長く離れて暮らす。母と同様に支えてくれる家族に、感謝を込めた。

 地獄の苦しみは過去のもの。「長かった。でも今はそれを思いながら投げていない。勝ちたいと思っている」。平成の怪物伝説が始まって20年。レジェンドは1勝に満足せず、復活勝利を積み重ねる。【柏原誠】