巨人杉内俊哉投手(37)が今季限りで現役を引退することが11日、分かった。近日中にも会見が行われ表明する。
02年にダイエー(ソフトバンク)でプロ入り。12年に巨人にFA移籍し、同年5月30日の楽天戦で史上75人目のノーヒットノーランを達成。17年間でプロ通算142勝(77敗)で歴代4位の勝率6割4分8厘をマークした。
15年10月に右股関節を手術してからは左肩痛にも苦しみ、1軍公式戦から遠ざかっていた。「松坂世代」を代表するノーノー左腕がユニホームを脱ぐ。
高校時代
鹿児島実のエースとして甲子園に2度出場。同世代の横浜・松坂とも投げ合った
- 鹿児島実時代の杉内(1998年7月21日撮影)
ダイエー入り
三菱重工長崎を経て01年ドラフト3巡目でダイエー入団
- 3巡目で福岡ダイエーホークスに指名された三菱重工長崎の杉内俊哉は、ナインに胴上げされる(2001年11月19日撮影)
プロ初勝利
プロ1年目の02年4月、ロッテ戦でプロ初先発初勝利を飾る
- 02年4月、ロッテ戦でプロ初先発、初勝利を飾った杉内(左)は、ウイニングボールを手にし王監督に祝福を受ける
ダイエーで日本一
03年にシーズン10勝、阪神との日本シリーズで2勝を挙げMVPで日本一に貢献
- 阪神を破り日本一となりナインに胴上げされるMVPのダイエー杉内俊哉(撮影は03年10月27日)
- 03年10月、優勝祝勝会で斉藤(右)らからビールをかけられる杉内
悔しさのあまり
04年6月1日ロッテ戦で2回7失点と炎上。ベンチに戻った際に椅子を両手で殴り、両手の第5中手(ちゅうしゅ)骨骨折。復帰まで3カ月以上を要した
- 04年6月、両手を痛々しく固定した杉内俊哉は「馬鹿なことをしました」とコメントを残し急ぎ足で病院に入る
契約更改で笑顔
05年は最多勝、最優秀防御率、沢村賞のタイトルを獲得し、MVPにも選出。1億1000万円アップの推定年俸1億5000万円で契約更改
- 05年12月、ソフトバンク杉内は1億1000万円アップの推定年俸1億5000万円で契約更改を終え、特大の印鑑を手に笑顔を見せる
日の丸を背負い五輪、WBCでも活躍
08年北京五輪で先発として2試合に登板。09年WBCでは5試合に中継ぎ登板し、連覇に大きく貢献。WBCは06、09、13年の3度出場
- 08年8月、日本代表として北京五輪のオランダ戦で先発する杉内
- 09年3月、WBC決勝の韓国戦で力投する杉内
ファン感謝デーで尻相撲
10年11月、ファン感謝デーの尻相撲で松田と対戦し勝利
- 10年11月、ファン感謝デーの尻相撲で松田を破る杉内(左)
1500奪三振
11年6月、横浜戦でプロ入り通算1500奪三振を達成
- 11年6月、横浜戦でプロ入り通算1500奪三振を達成し花束贈呈を贈られるソフトバンク先発の杉内
FAで巨人入り
11年12月、FA権を行使し巨人入り。背番号は桑田が退団した06年以来、空き番となっていた「18」に
- 11年12月、巨人入団会見で杉内(右)は、背番号18のユニホームに袖を通し原監督(左)と笑顔を見せる
ノーヒットノーラン
12年5月、楽天戦でプロ野球史上75人目となるノーヒットノーランを達成
- 楽天戦でノーヒットノーランを達成しナインと喜び合う巨人杉内(2012年5月30日撮影)
- 杉内は楽天戦でノーヒットノーランを達成し雄たけびを上げる。手前は阿部(2012年5月30日撮影)
巨人でも日本一
移籍1年目の12年は12勝4敗。172三振を奪い奪三振のタイトルを獲得し日本一に貢献
- 12年11月、日本ハムを破り日本一となった巨人杉内はビールを浴びてうれしい悲鳴
ケガに苦しみ16年以降は1軍登板なし
15年10月に右股関節を手術、左肩痛にも苦しみリハビリに明け暮れた
- 17年11月、契約更改後の会見中にうつむく巨人杉内
- 18年1月、下半身強化のトレーニングを行う巨人杉内
年度別成績
- 杉内の年度別成績
プロフィル
◆杉内俊哉(すぎうち・としや)1980年(昭55)10月30日、福岡県生まれ。鹿児島実では3年夏の甲子園でノーヒットノーランを達成。三菱重工長崎を経て01年ドラフト3巡目でダイエー入団。03年日本シリーズMVP。05年は最多勝利、最優秀防御率でリーグMVP、沢村賞。11年オフにFAで巨人に移籍。12年5月30日楽天戦でノーヒットノーラン。最多奪三振3度、最高勝率2度。06、09、13年WBC日本代表。175センチ、82キロ。左投げ左打ち。