節目を刻んでも、試合後に笑みはなかった。記録よりもチームのために-。「勲章」を得た阪神糸井嘉男外野手(37)はピクリとも変わらない表情で、マツダスタジアムの通路を歩いた。

2回、先頭で打席に入った3球目だった。広島野村の投じた外角低め112キロカーブに対応。右前にライナー性の打球を飛ばし、NPB史上124人目となる通算1500安打を達成。体勢を崩されても、芯で捉える技術の高さをあらためて示す一打だった。プロ15年目での節目到達。03年に自由獲得枠で日本ハムに入団。剛腕投手として期待されたが、鳴かず飛ばず。目指した1軍マウンドには届かなかった。転機はプロ3年目の06年。野手に転向して、2軍で必死にバットを振り込んだ。翌07年9月10日ロッテ戦で右安打を放ち「超人伝説」をスタートさせた。

ベテランとなった今、細かなことにまで気をつかう。夏場には灼熱(しゃくねつ)の甲子園で「海、行きたいなぁ!」と冗談交じりにグラウンドへ。長袖アンダーシャツを「暑いから! (ハサミで)自分で切ったよ」とジグザグ七分袖を見せて、おちゃめに笑うシーンも。ジョークに包み隠すが、練習中に飲むサプリを数種類を用意し、状態に応じて飲み替えるなど、コンディション管理には人一倍気をつかってきた。もちろん、ケガとの闘いが避けられないケースもある。今季は6月30日ヤクルト戦(神宮)で右膝に死球を受け右足腓骨(ひこつ)を骨折。主軸として強い使命感を抱き、完治を待たずに強行出場を選んだ。

5回にも二塁打を放って、すぐに新たな1歩を踏み出した。ただ、この日は9回の打席で代打を送られて途中交代。試合後はチームバスまで、ゆっくりと自力で歩いた。金本監督が「ちょっと足がね。もともと今日はあまり良くなかったんだけどね。最後はちょっと怖さが出たみたい」と心配そうに話すように、逆転CS出場に超人は欠かせないピース。泣いても笑っても、残りは17試合。虎が浮上するには、糸井の力が必要不可欠だ。【真柴健】

▼糸井が1500安打を達成。糸井は03年ドラフト自由枠で近大から投手としてプロ入り。2年間で1軍登板はなく、3年目から外野手に転向した。65年のドラフト導入後、1500安打以上を記録した選手で投手として入団した選手は複数いるが、入団と同時に野手に転向していることが多い。糸井と同様のケースは、77年ドラフト外で名商大から中日入りした平野謙。2年目まで投手登録も1軍登板はなく、3年目から外野手登録されて通算1551安打。また、88年足利工からドラフト外で大洋(現DeNA)に入団した石井琢朗は、1年目に投手として1勝を挙げたが、4年目から内野手に転向し通算2432安打を記録した。

▼通算1500安打=糸井(阪神) 21日の広島22回戦(マツダスタジアム)の2回、野村から右前打を放って達成。プロ野球124人目。初安打は、日本ハム時代の07年9月10日のロッテ19回戦(千葉マリン)で高木から。