広島のドラフト1位小園海斗内野手(18=報徳学園)が西武とのオープン戦(長崎)でプロ1号本塁打を放った。4回の遊撃守備から途中出場し、8回に左腕武隈の直球を右翼席に運んだ。オープン戦での高卒新人アーチは13年大谷(日本ハム)以来で、西武清原、巨人松井も打てなかった。複数安打も記録し、打率は驚異の5割7分1厘。1軍をある程度経験した後のファーム行きが基本線だったが、方針が修正されるほどの快進撃を続けている。

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小園は左腕武隈の内寄り直球を、体をクルリと回転させて捉えた。「入ってくれ」。祈りを込めた視線の先、右翼スタンドで打球が跳ねた。弾むようにベースを1周。満面笑みのナインが待っていた。ベンチから差し出された左手を次々とたたいた。最後は、自らの左手人さし指で天を指さすパフォーマンスで締めた。

「打った瞬間分からなかったので、入ってくれてよかった。(パフォーマンスは)みんながやっているので」。メヒアのパフォーマンスをまねるのがチーム内の流行。照れくさかったが雰囲気に促され、控えめに便乗した。

8回先頭の打席だった。実は初球を一塁側ファウルゾーンに打ち上げ、凡退を覚悟したが一塁手が落球した。「本当だったらあれでアウト」。頭を切り替えた。2ストライクと追い込まれる中、絶好球に迷わずバットを出した。5回の第1打席でも一塁内野安打を放ち、3打数2安打。オープン戦通算打率を5割7分1厘まで上げた。

高卒新人ながら、木製バットを苦にしない。枚方ボーイズ時代から、チームメートの藤原(ロッテドラフト1位)とともに木のバットで練習していた。高2で日本代表入りした際は、国際大会用にマイバットまで作った。85センチ、890グラムのホワイトアッシュ製。高3時の日本代表でも個性豊かな外国人投手を打ち込んできた。金属バットの弊害といわれるドアスイングとは縁がない。

高ヘッドコーチは「結果で1軍に残れるくらいの結果を残している。まだまだ1軍で見てみたい」と絶賛した。元々ある程度1軍を経験させた段階で2軍に送り、じっくり育てるのが基本線。同じ遊撃に絶対的な存在の田中広がおり、出番が限られるからだ。その時期を修正せざるを得ないほどの快進撃が続く。

小園は2日、報徳学園の先輩、西武田村に誘われ食事に出かけた。チームメートとは違う先輩と接し、パワーアップしていた。「(開幕)1軍という気持ちは強い」。前だけを見てアピールを続ける。【村野森】

▽高校日本代表・永田裕治監督(報徳学園前監督で小園の恩師)「ネットで見て知りました。足元を見つめながら1歩1歩着実に前進していってほしいですね」

▼ルーキー小園がオープン戦で初本塁打。高卒新人がオープン戦で本塁打を放ったのは、13年3月17日中日戦の大谷(日本ハム)以来、6年ぶり。ドラフト制後(66年以降)、広島の高卒新人が本塁打を打ったのは初めてだ。これでオープン戦の小園は1安打→1安打→2安打。オープン戦で初出場から3試合連続安打の高卒新人は11年駿太(オリックス=1→2→1)以来。1発の大谷と3戦連続安打の駿太はともに開幕戦に先発出場したが、小園はどうか。ちなみに、86年清原(西武)はオープン戦14試合、93年松井(巨人)は20試合に出場して本塁打0に終わり、3試合目までの安打数は清原が0→1→1、松井は0→0→0だった。

▼西武-広島戦は8回に小園、9回に山野辺が本塁打。オープン戦で両軍の新人が本塁打を打ったのは、06年3月20日ヤクルト-ソフトバンク戦で1回に武内(ヤクルト)が1号、2回に松田(ソフトバンク)が2号を記録して以来、13年ぶり。

 

<小園海斗(こぞの・かいと)のアラカルト>

◆生まれ 2000年(平12)6月7日、兵庫県生まれ。

◆球歴 小学1年、宝塚リトルで野球を始め、光ガ丘中では枚方ボーイズに所属。報徳学園では2年時にセンバツ4強、3年夏に甲子園8強。昨秋ドラフトでは4球団が1位指名。契約金1億円、今季年俸800万円(金額は推定)。

◆代表歴 枚方ボーイズ時代の15年にU15日本代表入り、高校時代は17年から2年連続でU18日本代表。

◆ライバル 枚方ボーイズでチームメートとして全国Vを経験したロッテ藤原は「永遠のライバル」。高校時代は3度、練習試合の機会があったが、雨などで対戦が実現しなかった。初対戦が期待された2月19日の練習試合も、開始直前の雨で4度目の水入りに。

◆練習漬け 日南キャンプでは「球場までの移動時間がもったいない」とドラフト6位正随と自転車を購入。松山の打撃フォームを手本に東出打撃コーチから連日の打撃指導を受けた。

◆遠投110メートル、50メートル走5秒8。

◆身長体重 178センチ、84キロ。右投げ左打ち。

◆プロでの目標 トリプルスリー。

◆好きな言葉 「日本一のショート」で帽子のつばに記す。