かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」。今回は社会人野球のジェイプロジェクト(名古屋市)で指揮を執る大石大二郎氏(60)です。近鉄時代に盗塁王を4度獲得したスピードスター。引退後はオリックスで監督を務めるなど指導者としても経験豊富な大石氏に58歳からのアマ球界チャレンジを聞きました。【聞き手・安藤宏樹】

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-就任3年目の今回も社会人野球でもっとも注目を集める都市対抗本戦出場はなりませんでした。90回記念大会はJFE東日本(千葉市)の優勝で幕を閉じましたが率直なお気持ちはいかがですか。

大石氏 全国大会に出るというのが就任以来の目標ですから、とても残念に思っています。今年はすごくピッチャーがよかったのですが、打線ですよね。もう少し打てればよかったのでしょうが、予選4試合で2点ですから。

-東海地区2次予選初戦は西濃運輸に1-0と投手戦を制しましたが、次戦の王子に0-1と競り負け。結局、敗者復活トーナメント制度の中で今年も代表切符を手にすることはできませんでした。歴史と伝統のあるチームが多く、代表権を手にすることは容易ではないと思いますが、専用グラウンドがないなど、環境面での難しさもあるのでしょうか。

大石氏 主に借りている練習場は名古屋市内から高速道路を使って40~50分くらいのところにあります。予選期間中などは野球に専念させてもらっていますが、ほとんどの選手は夜間に仕事をしています。厳しいことは厳しいと思います。

-選手はグループ本社が名古屋を中心に各地で展開する飲食店に勤務しながら日々練習を行い、試合や大会に臨んでいるとのこと。09年のチーム創設時には「居酒屋チーム」としてメディアにも取り上げられました。

大石氏 ほとんどの選手が通常は午後に練習を終え、夕方から深夜12時ごろまでそれぞれのお店に勤務しています。練習は午前9時スタートが多いですから、睡眠時間も6時間とれるかどうか、だと思います。

-他の企業チームも当然、仕事をしながら野球をするわけですが、昼間に働き、その後に練習という形が多いと思います。監督に就任された経緯を教えてください。

大石氏 近鉄時代の先輩を監督に、というお話の席に同席したのがきっかけです。交渉が進む中でなぜか私のところにおはちが回ってきた。大学卒業時にドラフトにかからなかったら社会人に、という話もありましたが、近鉄だけ体の小さかった私を評価してくれてプロの世界に入りました。社会人野球はまったく経験のない未知の世界。どういうシステムかも知りませんでしたので正直、お受けするかどうか悩みました。

-プロ野球経験者のアマ転身や復帰は関係者の努力もあって年々増えてはいますが、プロ監督経験者の社会人野球監督就任は近年では野村克也氏(02~05年シダックス)のケースがあります。就任を決意されたのは58歳のときです。

大石氏 年齢的にも還暦目前でしたし、いろいろ考えました。家族にも相談しました。ただ、やってほしいと言われること自体がありがたい。「チャレンジ」しようということでお受けしました。

-年間を通してのリーグ戦方式であるプロ野球とトーナメントが中心の社会人野球。同じ野球でも戦い方が違うと思います。就任して戸惑われたことは。

大石氏 強いチームと対戦するわけですから、ひとつのミス、ひとつの四球が致命傷になります。また、トーナメントと言っても都市対抗の予選などは敗者復活システムですからやはり戦力に厚みのあるチームが優位です。奇襲なども用いる弱者の戦法だけでは勝ち上がれません。そしてもっとも戸惑ったことは選手を磨くことの難しさです。これを日々感じながらやっています。

-選手を磨くことの難しさとは。

大石氏 根気がいることです。選手を育てるといってもそんなに短期間では難しい。だから根気です。また、ようやく育ってきたかなと思った選手もある程度の結果が出ないと自ら辞めていくケースがあります。将来を考えて早めに見切りをつけるということなのでしょうか。投打の中心選手とか、重点起用を始めた選手が社業に専念したり、転職したりします。私はフィールドマネジャーですから、選手の去就に直接関与することはありませんが、中心選手が自ら辞めていくというのはこれまで経験したことがなかったことなのでこの部分でも難しさは感じています。

-ご自身の生活リズムも一変されたのでは。

大石氏 週末など休みのあるときは大阪に自宅に戻りますが、基本的には名古屋での単身生活です。ソフトバンクでコーチをしたときに経験はしていますが、こちらにきてから自炊を始めました。毎日1合ご飯を炊いています。朝は魚を焼き、夜はそうざいを買って、野菜炒めを作ったりして。人生で初めての自炊生活ですが、結構、楽しんでいます(笑)。

-秋には日本選手権が控えています。昨年はあと1歩というところで出場を逃しました。前任者で初代監督の辻本弘樹部長兼GMが率いた12年に1度、都市対抗に出場されていますが、以降は日本選手権を含めた2大大会に出場ができていません。間もなく最終予選も始まります。

大石氏 強いチームに続けて勝つことは難しいですが、なんとかして勝ちたいと思っています。

-いまはチームとして結果を出すことに専念されていると思いますが、その先の目標などあればお聞かせください。

大石氏 社会人野球の世界で選手に伝える難しさ、伝え方の難しさを勉強させてもらっています。打撃、守備、走塁といった技術面に限らず、自分の得た経験や財産をこれからも伝えていければと…。プロであれ、アマであれ、指導者としてもっとも必要なことは根気であることも痛感しています。年齢も年齢ですが、もし機会があれば若い選手に教えたい、伝えたい、という気持ちはあります。

◆大石大二郎(おおいし・だいじろう)1958年(昭33)10月20日生まれ。静岡県出身。静岡商から亜大を経て80年ドラフト2位で近鉄入団。新人王に、盗塁王を4度獲得するなど中心選手として活躍。引退後は近鉄コーチ、オリックス監督などを歴任。14年までソフトバンクヘッドコーチ。17年から名古屋市に拠点を置く社会人野球ジェイプロジェクト監督を務めている。