運命のドラフト会議が10月26日に行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の名場面を「ドラフト回顧録」と題し、当時のドラフト翌日付の紙面から振り返る。

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<18年10月26日付、日刊スポーツ紙面掲載>

甲子園を沸かせた投打の「二刀流」が「超一流」のプロ野球選手を目指す。「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が25日に都内で行われ、大阪桐蔭・根尾昂内野手(3年)は4球団競合の末、中日が交渉権を獲得した。根尾は「ドラゴンズの一員としてしっかりやる」と早くも入団宣言。岐阜出身で幼いころから中日の試合を見てきた準地元の縁も感じ「勝利に貢献したい」と意気込んだ。

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約200人の報道陣が見守るなか、根尾は1点を見つめ表情を一切変えなかった。「ほっとしています。どの球団に選んでいただけるか分からなかったので、中日ドラゴンズさんに決まったのでほっとしました」。中日が交渉権を獲得すると、少しだけ口元をゆるませた。

常々、目標にする具体的な数字は口にしない。すべての瞬間に全力をかけ勝利を目指すプレーを心掛けるからだ。「プロの世界で超一流になる」。超一流-。イメージする選手は「イチロー選手であったり」という。マリナーズ会長付特別補佐のイチローは、幼い頃からあこがれる存在。中日のお膝元、愛知出身のスターだ。09年WBC決勝でイチローが放った決勝打は目に焼き付く。長年、第一線で活躍してきた姿は、根尾が目指す姿に重なる。

岐阜・飛騨市出身の根尾は、小学生の時にドラゴンズジュニアとしてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場。小さい頃は、テレビをつければ中日の試合が放送されていた。「何かご縁があるのかなと思いますし、こういうご縁を大切にして何としても力になりたいと思います」。高校生最多タイの7球団競合とはいかなかったが、その実力にたがわぬ今ドラフト最多タイの4球団競合。12球団トップで1位指名を公言した中日と結ばれた。「中日ドラゴンズの一員として、勝利に貢献できるようやっていきたいと思っています」。交渉を待たず、早くも入団宣言まで飛び出した。中日には大阪桐蔭OBの平田がおり「どういう練習をしてきたのか、考えをしてきたのか聞きたいと思っています」と入団後にまで思いをはせた。

大阪桐蔭の主力として、通算32本塁打、投げては最速150キロの「二刀流」として、注目され続けた。前日24日には「自分の中ではショートでいきたい気持ちがあります」と話していたが、「球団の方としっかり話をして決めたいです」と答えた。「どのポジションをやっても、チームの勝利に貢献したい」。2000年生まれのミレニアム世代を代表し、平成最後のドラフトの主役を張った男が、新たなステージに足を踏み入れる。

★現役時代に戻ったようだった。「よしっ!」。中日与田監督が右手で力強いガッツポーズを2度決めた。日本ハム、巨人、ヤクルトと4球団が競合した根尾の交渉権を獲得した。紺のスーツに、淡いグレーのシャツ、紺とえんじ色が交ざったネクタイを締めての初仕事。全国の注目を浴びる中、「交渉権確定」の判が押された紙をつかみ取った。

「ほっとした。(根尾の)交渉権を得たんだと、力が抜けた」と安堵(あんど)の笑みを浮かべた。ウエーバー順のため、4球団の最初に抽選箱に右手を入れた。下から2つ目の封筒を引き上げ、開封を待った。「いくつか触って、感覚でこれだ! と思って引いた」。験担ぎに頼らず、現役時代にストッパーとして修羅場をくぐってきた勝負強さを発揮。今月5日に12球団最速で根尾1位を公表した熱い思いを実らせた。「うまくいかなかったら、ものすごくショックを受ける。運が良かった」。23年ぶりに中日に帰ってきた新監督が、いきなり大仕事をやってのけた。

二刀流については「本人の意思を尊重したい」の柔軟な方針をあらためて強調。「すぐにでも会いたい。1分1秒でも早く契約して欲しい」。今日26日には、自ら大阪桐蔭に指名あいさつに出向き、熱い思いをぶつける。

★中日西山球団代表 狙い通りのドラフトができた。取りたい人を全部取れた。新監督が根尾君を引いてくれて、流れとしても良かった。

★高校生に11球団入札 1位の第1回入札は根尾、小園に4球団、藤原に3球団。西武を除く11球団が高校生の抽選に参加した。05~07年の高校生ドラフトを除き、11球団が高校生に1位入札したのは史上最多。過去最多は昨年の9球団で、清宮幸太郎(早実)に7球団、中村奨成(広陵)に2球団が入札。

 

※記録と表記などは当時のもの