元ロッテ投手の村田兆治氏(69)が7日、若手時代から世話になり、6日に亡くなった元巨人投手の金田正一氏をしのんだ。

74年には監督と選手として一緒に日本一に輝き、73~78年の金田監督の第1次政権、引退した90年にも第2次政権でも、ともに戦った間柄だった。

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金田さんは私の恩人だ。野球に取り組む姿勢を教えてくれた。感謝しかない。現役を終えても、長く付き合いがあった。元気いっぱいの人だったけど、6月に会った時に初めて「元気ないね」って話をした。その後、入院して検査をしたと聞いた。6日は16時くらいに(親族から)電話がかかってきて「亡くなったのか?」と聞いたら「そうです」ということだった。

初めて会ったのは、もう50年も前。プロ2年目の鹿児島・指宿キャンプ。評論家として来ていた金田さんが「いいピッチャーだ」と、実績のない私を眼力で見いだしてくれた。よく食事にも連れて行ってもらい「今日は鍋だぞ」と言われて「嫌いだからステーキでいいですか?」と言うと「好きにしろっ」と、どやされた。「体の手入れは大事だぞ」と、引退後も節制を続けていたのを見習った。おかげで引退する年(90年)も2ケタ勝つことができた。

金田さんから受けた恩を私も次の世代に伝えようと、離島の子供たちに野球を教えることを始めた。その話をすると「離島とか歩いてまわって、そんなプロ野球選手いないぞ」と褒めていただいた。人に対する思いやりにあふれた人だった。今まで教えてきた子供たちが育って、同じように尊敬される人になっていってくれれば、金田さんへの恩返しにもなると思う。

以前「死んだら弔辞は兆治に読んで欲しい」と話してくれた。「息子みたいなものだから」と、かわいがってくれたのはうれしかった。86歳だったが元気だったし、あっという間にという感じ。思い返すと、とてもつらいし悲しい気持ちになるけど「おい兆治、もっとしゃきっとしろよ」と、おしかりを受けそう。少しでも前向きに頑張っていきたい。(元ロッテ投手・村田兆治)