球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが14日、都内の野球殿堂博物館で発表され、エキスパート部門で阪神などで活躍した田淵幸一氏(73=野球評論家)が選出された。

特別表彰ではアマチュア界の名勝負で語り草となっている60年の「早慶6連戦」を指揮した元早大監督の石井連蔵氏(享年83)と元慶大監督の前田祐吉氏(享年85)が選ばれた。

◆「早慶6連戦」 60年秋の早慶戦で早大が2勝1敗として慶大と勝ち点4、9勝4敗で並び、早慶戦に続いて両校の優勝決定戦が行われた。当時の神宮球場に照明設備はなく、決定戦1、2戦目は延長11回日没引き分け。1戦目は早大が9回表に同点に追いつき、2戦目は延長11回裏に慶大が1死満塁からの外野飛球で安藤統(元阪神)が本塁憤死。サヨナラ勝ちを逃した。3戦目に早大が勝ち、エース安藤元博(元東映、巨人)は6連戦のうち5試合に投げ5完投、49回で自責点3の力投。6試合で合計38万人の観衆を集めた。

◆石井連蔵(いしい・れんぞう)1932年(昭7)6月26日、茨城県生まれ。水戸一高-早大。早大ではエースで4番。主将を務め、リーグ通算21勝。4年秋に首位打者。日本鋼管でプレーし、57年に早大コーチ、58年に監督就任。60年秋の「早慶6連戦」で優勝。63年退任後、高校と大学の先輩にあたる飛田穂洲(とびた・すいしゅう)氏(早大初代監督)がいた朝日新聞社に勤務。日米大学野球実現に尽力した。88年、監督に復帰し94年まで務めた。監督通算13年(26シーズン)でリーグ優勝4度、59年全日本大学選手権優勝。監督退任後は日本学生野球協会などの要職を歴任し、96年9月から98年まで茨城・水城高で野球部監督を務めた。15年9月27日、83歳で死去。

◆前田祐吉(まえだ・ゆうきち)1930年(昭5)9月22日、高知県生まれ。城東中(現高知追手前高)では投手として46年夏の全国大会(当時は甲子園ではなく西宮球場)に高知県勢として初出場。47年春も出場した。慶大から日本麦酒(現サッポロビール)を経て、60年に慶大監督就任。同年秋「早慶6連戦」を指揮した。65年に退任するまで3度優勝。82年に監督復帰し、93年に退くまで5度優勝し、2度の任期で計8度優勝。85年秋は10勝1分けで無敗だった。87年全日本大学選手権優勝。監督を退いた後、全日本アマチュア野球連盟(現全日本野球協会)の選手強化対策委員長を務め、96年アトランタ五輪で選手選考に携わった。その後はアジア野球連盟事務局長としてインド、タイなどで指導した。16年1月7日、85歳で死去。