プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。 

   ◇   ◇   ◇

谷繁元信氏(日刊スポーツ評論家)は「捕手野村」「監督野村」と戦い、歴代1位の称号を得た。通算最多の3021試合出場は、野村氏の3017試合を抜いたもの。「ヤクルトの監督時代に横浜(現DeNA)の選手で対戦し『嫌な監督だな』と思いを抱いていた。もてあそばれ、谷繁の考えはすべてばれているような感覚だった。そこを何とかはぐらかしながらヤクルトを、野村監督を負かせようという思いがあった」。闘志は試合数へと重なった。

「最終的には野村さんの試合数を目標にし、何とか抜きたい思いで現役を終えた」。タフなポジションの捕手が通算試合出場のワンツーを飾ったのは頭脳戦の末だった。捕手の価値を高めた先人から言われている。「解説で会うと『早くユニホームを着ろ。ゴルフばかりしている場合じゃない』と言われた。常に僕の頭に残っている」。いつか知力を尽くした戦いを、名捕手になりえる逸材に仕掛ける。