26年前、1994年5月11日の夜、神宮球場で大乱闘が起こった。ヤクルト-巨人戦の7回、ヤクルト西村の投げた内角球に巨人グラッデンが激高。捕手の中西にアッパーを食らわすと両軍入り乱れての大乱闘となった。この乱闘劇で3人が退場処分に。グラッデンは指2本を骨折した。3人は翌日、セ連盟で異例の事情聴取を受け、グラッデンが出場停止12日間と制裁金10万円、西村は出場停止5日間と制裁金10万円、中西は戒告処分となった。

【復刻記事】

11日行われたヤクルト対巨人5回戦(神宮)は死球、内角球をめぐって両軍が乱闘、1980年以来14年ぶり、3人退場の大荒れとなった。2回表1死一塁、ヤクルト西村竜次投手(25)が巨人村田真一捕手(30)に対し危険球となる左後頭部死球を与えれば、巨人木田優夫投手(25)が西村に対し報復のでん部死球。7回表には西村の投げた巨人ダン・グラッデン外野手(36)への内角球に同選手が激高、大乱闘となった。このため西村が危険球で、ヤクルト中西親志捕手(33)グラッデンが暴力行為の発端となったとして退場処分になった。事態を重く見た川島広守セ・リーグ会長(72)は今日12日、東京・銀座の連盟事務所に西村、グラッデンを呼び、異例の事情聴取を行うことを決定した。

傘を差しながら観戦した4万の観客は、少なくとも野球を見にきたはずだった。だが、目の前で繰り広げられるシーンはボールを使ったケンカそのものだ。荒れるGS戦のクライマックスは7回だった。打者グラッデンへ、西村が投じた2球目はインハイを襲う。ヘルメットを飛ばしてのけぞったグラッデンがマウンドに向かった。制止する中西のマスクを払い落とす。応戦する中西に見舞われたグラッデンの右アッパーを合図に、両軍ベンチはあっという間に空になった。ホーム付近で、もみ合い、へし合い、押し合う群れ。それはペナントをかけた男たちの姿ではない。田中球審が、グラッデン、中西を即刻退場に。さらに西村に対しても、その投球を2度目の「危険球」と判断して退場処分としたのだ。

一度に3人の退場劇。「遺恨戦」といわれるカードだが、その伏線は2回にさかのぼる。1死一塁で打者村田真。0-1から西村の2球目がヘルメットを直撃。鋭い音を立てて、ヘルメットには5、6センチのひびが入っていた。その場でこん倒した村田真だが、スクッと立ち上がってマウンドに向かおうとした。数歩歩いたが、再び足から崩れていった。飛び出した両軍ナインも、立ち尽くすだけで沈黙。それほど衝撃的なシーンだった。この投球が「危険球」とみなされた。

長嶋監督はこの時の審判団の処置を悔やんだ。「即刻退場にしていい場面でしたね。頭はいけない。選手生命にかかわりますからね。即刻退場にしなかったから遺恨を残すんです」と口角泡を飛ばさんばかり。「あの時(村田真に対して)は捕手が最初外に構えていたのに、投球と同時にフッとインハイに構え直したんだ。ベンチでアッと叫んだ途端ですよ。ヤクルトは(死球が)多すぎるね。明らかに意図的です。野球界が盛り上がっている時に、お客さんには後味が悪かっただろうけど」と興奮が冷めない。村田真への死球がひきがねになって、小さな「報復」もなされた。3回に2死を簡単に取った先発木田が、投手の西村を打席に迎えておしりの部分にぶつけてしまう。今度は野村監督がベンチを飛び出して「危険球やないか」とアピールだ。これに対して長嶋監督は試合後、「そりゃあ、そこに行くことだってありますよ。目には目です。ただし頭はいかん、頭は…」と、あっさり故意を認めた。

一方の野村監督は、グラッデンへの投球をめぐって発生した騒動の最中、須藤ヘッドコーチに「言い訳はできんな」と危険球に対するわびを入れた。だが、かえす刀で「木田が(西村に)ぶつけたのは故意だ。あれが故意でなければ故意なんて一切ない。(故意かどうかの判断は)最高裁に持っていかなきゃ分からん。セ・リーグの体質はどうしても巨人寄りだ」と持論を持ち出して、やり場のない怒りをぶちまけた。昨年から両指揮官の不仲に端を発した危険球の応酬という「遺恨戦」に発展したGS戦。砂をかむむなしさだけが残った。

<グラッデンは指2本骨折、中西は眼球打撲>

巨人グラッデンはヤクルト中西捕手ともみ合った際、右手第一指(親指)末節、左手第五指末節を骨折、出場選手登録を抹消されることが確実となった。代わって吉岡雄二内野手の昇格が有力。また、村田真一捕手は、ヤクルト西村投手から左後頭部に死球を受けて昏(こん)倒、担架に乗せられて退場した。救急車で都内の病院に運ばれ、CTスキャンおよびレントゲンの検査を受けた結果、脳、骨ともに「異常なし」の診断だった。また、中西捕手は、都内の病院で診察を受け、左眼球打撲と診断された。

<巨人ナインは>

7回1死、村田真を病院送りにした西村の投球が、グラッデンの顔の高さを襲う。ヘルメットを飛ばしてよけ、西村をにらみ返すともう止まらなかった。ののしりの言葉を吐きながらマウンドに向かう。あとはお決まり。両軍選手がベンチから飛び出して乱闘劇が開始された。グラッデンVS中西を核にあちこちに衝突が。落合が体の痛みも忘れ、輪の中から秦を引っ張り出す。簑田コーチは金森とつかみあい。西岡は広沢克ともみあいになり、両人とも味方に抑えつけられながら、ののしりあった。

めったに感情を面に出さない落合も興奮状態。「だっていつも向こう(ヤクルト)が仕掛けてくるんだもん。おれが中日にいた時もいつも同じだ」。この日も3度ブラッシュボールに襲われた。ヤクルトからではないが、死球により満身創痍(そうい)の戦いを現在強いられているだけに過剰に反応した。簑田コーチは「金森は関係ないのにいつも飛び込んでくる。こういうことが続くと野村監督が指示していると疑いたくなる」と、まくしたてた。

乱闘の原因をつくったグラッデンは来日初の退場を宣告された。中西を殴った際に痛めた左右の指1本ずつを骨折と、その代償は大きかった。中畑コーチは「外国人は頭に(球が)来たらいくのが当然。命にかかわるから。(ヤクルトは)あんなことまでして勝ちたいのか」と最後まで怒っていた。

<ヤクルトナインは>

西村が雨の中をうつむきながら引き揚げる。勝利投手になりながら、グラッデンへの危険球により退場処分を受けた。巨人ファンの怒声も、ヤクルトファンの声援も耳には入らない。「自分が投げたことによってこうなってしまった。僕が悪かったです。申し訳ないと思っています。僕が狙われた? そんなことはないでしょう。僕が何か言えば(いろいろ)ありますから。察してください」。まず、自分が村田真の頭部に死球を与えたことを謝罪した。直後に自身も死球を受けており、反論はあるはずだが、水掛け論になることを考え、それ以上は口をつぐんだ。

西村とバッテリーを組んだ中西は、コメントさえない。左目にグラッデンのパンチを受け、眼鏡は壊れて飛び、その瞬間にひざから崩れ落ちた。田中チーフトレーナーは試合後、「ベンチに戻ってきた時には左目が見えないと言っていた。そのあとで見えるようになったらしいが」と異常な事態に怒りを見せながらも、中西を気遣った。

ヤクルトナインは口々に村田真への頭部死球をわびた。池山は「頭はいけないよ。頭に行ってしまってはなあ」と言ったきりあとは沈黙。

広沢克は「村田へのデッドボールは謝って済むことじゃない。それはカズ(長嶋一茂)にも言われた。でも、それならどうすればいいんだ。おれも木田を知っているし、木田がわざとやったんじゃないのは分かっているよ。ベンチのだれかがさせていると思う。小さいころからの巨人ファンだったのに。あのデッドボールを見てしらけてしまったよ」と悲しげな表情を浮かべた。

西村の死球に端を発し、報復のための木田の死球、そして危険球、乱闘、退場と暴力シーンが続いた。「おれたちは野球で戦わなければならないのに」。広沢克の言葉をチームの総意と信じたい。

▼ヤクルト-巨人戦で3人が退場処分を受けた。一試合に3人の退場者が出たのケースは、1980年7月5日の南海-阪急後期2回戦(大阪)以来、プロ野球史上2度目。この時は南海の広瀬監督、新山コーチ、片平内野手の3人が寺本球審に暴行を働き退場させられたもの。両軍から退場者が出て合計3人というのは、今回が初めてだ。巨人は前日の長嶋一茂に続いて2日続けて退場者を出したが、これは61年の西鉄(9月17日坪内コーチ、18日仰木内野手)以来、33年ぶりのこと。なお、危険球による退場は90年(平2)の鹿島(中日)高木(オリックス)以来。

※表記、データは当時のもの