星槎道都大の192センチ右腕、河村説人(ときと=4年、白樺学園)がロッテ4位で指名を受けた。同大からは18年に日本ハムドラフト7位指名を受けた福田俊投手以来。

北海道北広島市内の同校の控室で待機し、指名を受けて会見場に現れると「ほっとした気持ちが一番強い。指名されるかどうかも分からなかったので安心しました」と喜んだ。ロッテの印象については「すごく明るい球団。若い選手が多くて活気がある」。同席した元巨人外野手で、DeNAなどで外野守備・走塁コーチを務めた二宮至監督(67)も「名前が出てほっとした」と胸をなで下ろした。

「アピールポイント」と語るのは、長身から投げ下ろす角度ある最速150キロの直球と落差のあるカーブ、フォークなど縦の変化球。今秋はその武器を生かして同大を札幌6大学リーグで19年春以来の優勝に導いた。3勝0敗の防御率0・62で最高殊勲選手賞も受賞。プロでの目標を問われ「今からしっかりと体作りをして、1年目からしっかり投げていきたい」と話し、プロで対戦したい打者には「ソフトバンクの柳田選手」と日本を代表する強打者を挙げた。

紆余(うよ)曲折の野球人生だ。15年夏の甲子園に白樺学園のエースとして出場。高校卒業後に亜大進学も1年夏で「環境を変えたかった」と退学した。それでも「自分の野球人生はいろいろあったけど、仲間に恵まれた」と語るように、右肩を痛め練習試合すら登板できずに退学した亜大でも学びがあった。当時1学年上の先輩から「難がないのは無難だよ。苦しかったら苦難。難があること、苦難があることがありがたいという気持ちを持ち続けないさい」と伝えられた。それ以来「有り難う(りがとう)」の言葉が座右の銘に。故郷でもその言葉を胸に成長を誓い、奮起した。

17年春に星槎道都大に再入学。2年春のリーグ戦に初出場すると、3年は春秋合わせて4勝。秋には大学日本代表候補にも選ばれた。研究熱心でカブスのダルビッシュ有(34)のSNSを参考にマウンドでの心構えを学んだ。同世代で日本ハム1位指名された苫小牧駒大・伊藤大海(4年=駒大苫小牧)からも勉強した。昨年末の大学代表候補合宿で同部屋で過ごした際に、私生活から全ての行動に意味を持たせる伊藤の姿勢を吸収。リーグは違うが道内でともに汗を流したライバルとは同じパ・リーグで対戦する可能性がある。河村は「1軍で投げ合いたい」と心待ちにする。

18年9月に起きた北海道胆振東部地震で被害の大きかったむかわ町出身で、両親は現在も在住。同町初のプロ選手となり「むかわ町は暗いニュースばかりが続いていた。ドラフトで指名されたことが良いニュースになれば。1日でも早く1軍で活躍して活躍を届けたい」。2つの大学のチームメート、生まれ育った故郷への思いを胸にプロの世界に飛び立つ。

◆河村説人(かわむら・ときと)1997年(平9)6月18日、むかわ町生まれ。鵡川中央小3年時に鵡川ジュニアファイターズで野球を始める。白樺学園高では3年夏に北北海道大会優勝。甲子園では初戦の下関商戦に先発も3-4敗戦。亜大を1年で退学し、17年春に星槎道都大に再入学。今秋は3勝1敗、防御率0・62の活躍でリーグ優勝に貢献し最高殊勲選手賞を受賞。好きなロッテ菓子は「コアラのマーチ」。家族は両親と兄、姉。192センチ、85キロ。右投げ右打ち。

▽白樺学園高・戸出直樹監督(45) (教え子の河村の指名に)大学を1回辞めて紆余(うよ)曲折した苦労も報われるだろうし、うちの野球部としても第1号のプロ野球選手になるので、後輩たちやOBにも喜んでもらえる。