坂本がエースで、マー君が捕手-

右打者史上最年少で2000安打を達成した巨人坂本勇人内野手と、ヤンキース田中将大投手は小学生時代に同じチームでプレーしていた。球界内外で広く知られるエピソードだが、2人が円熟期に入った近年、その数奇な運命はさらに際立つ。

2人が所属した昆陽里(こやのさと)タイガースの当時の監督、山崎三孝さん(75=現理事長)は、坂本について「勝った、負けたで泣いたことはないけど、野球を雑にやっていて『やめてまえ。帰れ。2度と来るな』と怒ったことが2回、あります」と思い返した。

「1回目は5年生の時。ショートをやっていて、5月か6月かの練習で、できるのに手を抜いていた。2、3歩、動いたら捕れるのに、手だけ伸ばしていた。それで怒りました。半分、泣いてました。その後、マー君の父親、田中コーチが10分ほど口説いて、私のところに謝りに来ました。『ちゃんとします。許して下さい』と。先輩の投手のところにも謝りにいってました」

「2回目は6年生の時。夏休みの伊丹での大会、初戦の先発メンバーを外しました。べそかいたけど、みんなの前では格好つけたいタイプ。陰で涙を浮かべていた。こっちに来ても帽子を深くかぶって、なかなか取らなかった。格好をつけるのは、今でもそうでしょう。ただ、今は周りの目標が坂本選手になった。もう手を抜けない。自分が手を抜いたら、周りに注意できなくなる。キャプテンをさせて、今の立場になったのは一番いい。一選手のままだったら、あそこまで伸びてないのでは。立場が伸ばした」と感じている。

6年生でエースになった坂本は、中学、高校を経て日本を代表する遊撃手になり、捕手だった田中は大リーグで活躍する投手に成長。

第2の坂本、マー君の育成へ、75歳になった山崎さんは「枯れ木のにぎわいです」と笑いながら、今でも週3回はグラウンドに通っている。教え子たちの活躍は何よりも楽しみ。

「ハードルが高ければ高いほど、向かっていく。毎日、テレビで応援してますよ。妻から『お風呂に入って』と言われても『この打席が終わってから』って言ってます」

恩師にも届けた2000安打になった。