ポスティングシステムでのメジャー移籍を目指していた巨人菅野智之投手(31)の巨人残留が8日、決まった。複数のメジャー球団と交渉を行い、米東部時間7日午後5時(日本時間8日午前7時)の交渉期限直前まで熟考を重ねた中で決断。夢である大リーグ移籍へと心は揺れ動いたが、残留の意思を固めた。巨人もこの日、菅野の残留が決まったと発表した

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交渉期限直前に、菅野は巨人への残留を決めた。複数の大リーグ球団と交渉を重ねたが、合意には至らず。メジャーへの移籍は夢ではあったが、交渉中も巨人残留を視野に入れながら、考え抜いた末での決断だった。

プロ8年間で101勝を挙げ、2度の沢村賞に輝いた菅野の動向は、メジャーも注目した。ポスティング申請後は複数球団とリモートで面談。1月1日に渡米し、代理人を務める米大手エージェント会社「ワッサーマン・メディア・グループ」のジョエル・ウルフ氏と合流し交渉を重ねた。米メディアなどによると、最後まで交渉を進めたのが、昨年12月末に7選手が絡むブロックバスター(大型)トレードでダルビッシュ有投手(34)が移籍したパドレス。菅野が加入すれば、ダルビッシュと先発ローテを担う可能性もあったが、契約合意には至らなかった模様だ。

菅野にとって、大リーグでのプレーは長年の夢だが、新型コロナウイルスの影響から、今季の大リーグは開催方式などが不透明な状況。未知のウイルスとの闘いも余儀なくされ、申請後の取材では「僕にいろんな人が携わってくれていると思いますし、そういう人たちの思いも少なからずあります」と悩める胸中を吐露していた。

巨人側は菅野の意思を尊重し、決断を待つ方針を示してくれた。おじでもある原監督からは、チームの監督の立場で残留を望まれた。「必要としてもらえるのはありがたかったし、報われたなと思います。そういうのも含め、悩んでいます」と話していた右腕。今季も巨人のエースとして、リーグ3連覇と日本一奪回を目指す。

◆菅野智之(すがの・ともゆき)1989年(平元)10月11日、神奈川・相模原市生まれ。母親は巨人原監督の妹。東海大相模では甲子園出場なし。東海大ではリーグ通算37勝4敗。大学4年時に日本ハムからドラフト1位指名も入団拒否。1年の浪人生活を経て、12年ドラフト1位で巨人入団。最多勝3度、最優秀防御率4度、最多奪三振2度、最高勝率1度。14、20年リーグMVP。17、18年沢村賞。18年CSのヤクルト戦でノーヒットノーラン達成。20年は史上初の開幕戦から13連勝。15年プレミア12、17年WBC日本代表。186センチ、92キロ。右投げ右打ち。

◆ポスティングシステム 海外FA権取得前に米球界に移籍できる制度。12年までは最高入札額を提示した球団が独占交渉権を得たが、現在は譲渡金支払い意思のある全球団と30日間交渉できる。移籍できなかった日本選手は菅野で9人目(10度目)。