ホークスには「永久欠番」がない。ダイエー時代に炎の中継ぎとして活躍した故藤井将雄投手の背番号「15」が没後から20年間、選手たちが背負うことなくきているが、ホークス歴代のプレーヤーの背番号は欠番入りせず、受け継がれてきている。南海、ダイエー、そしてソフトバンクと親会社が変わったことも大きく影響しているのだろうが、球団の歴史を紡ぎながらも先代へのリスペクトが途切れがちになったことも確かなのだろう。

プロ野球の盟主と呼ばれる巨人には「1 王貞治」「3 長嶋茂雄」「4 黒沢俊夫」「14 沢村栄治」「16 川上哲治」「34 金田正一」の6つの永久欠番がある。南海の宿敵だった西鉄ライオンズ(現西武)の大エース稲尾和久氏の背番号「24」も平成になって西武が永久欠番とした。監督で初の欠番となったのは楽天初Vの星野仙一監督。だが、プロ野球界に「捕手」の永久欠番はまだない。

野村さんは南海とたもとを分かち、決別した。「ホークスのことはずっと気になっていました」と、18年2月に行ったインタビューでも視線を落とし述懐した。「生涯一捕手」として通算3017試合に出場。2901安打、657本塁打、1988打点の数字はいずれも歴代2位というすばらしい数字で、さらに監督として南海、ヤクルト、阪神、楽天の4球団を率いて1565勝(歴代5位)を挙げている。

「僕が一生懸命つくった記録を王に簡単に破られるから頭にきていたんですよ。王が球宴で二十数打席かノーヒットだったでしょ。キャッチャーは全部僕ですよ。僕が(球宴で)キャッチャーやるときは『セ・リーグの投手諸君、王はこうやって攻めるんだ!』という思いでやってましたから。でも、誰も見ていなかった。球宴はひとつのお祭りですから。真剣にやっている人はほとんど見当たりませんでしたね、当時は」

「ON」を太陽に向かって咲くヒマワリとたとえ、自らは日本海にひっそりと咲く月見草と表現した。努力と反骨心の生涯一捕手は、自らをしっかりとプロデュースする「演出家」でもあったのだろう。

「捕手が育てば、チーム作りの半分はできたということですから。優勝チームには必ず名捕手がいる。V9巨人の森捕手という存在も大きいし、西武の黄金時代も伊東という捕手がいて。振り返ってみると強いチームにはいいキャッチャーがいますよ。派手なプレーがないからみんな見過ごしがちですけど、リードのファインプレーというのはなかなか見えないじゃないですか。投手が完封すれば、ヒーローインタビューはみんな投手ですしね。キャッチャーにスポットを当てて、捕手目線で野球を見るというのは非常に少ないと思いますよ」

南海野村の背番号「19」は今、ソフトバンク甲斐が昨年から背負っている。強肩を武器に18年の日本シリーズではMVPにも輝いた。育成選手からはい上がり、野村さんと同じ境遇の母子家庭で育った若き司令塔。背番号「19」は球場の記念室に飾られるよりも「野村魂」を引き継ぐ後輩たちに受け継がれていくのがいいのかもしれない。【取材・構成=佐竹英治】