ロッテ佐々木朗希投手(19)が、27日のセパ交流戦・阪神戦(甲子園)に先発することが24日までに決まった。最速163キロ右腕として注目されるスター候補が、プロ2年目の春に初めての聖地へ。岩手・大船渡高時代はあと1勝で届かなかった「甲子園への道」を3回に分けて振り返る。今回は中編。

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高校最後の1年が始まったが、大船渡の冬は寒い。年明け後、初めて報道対応した3月27日にブルペン入りについて尋ねた。

「まだ入っていないです。体が大きくなって動きにくくなるかなと思ったら、それはなくて安心しました。キャッチボール自体もまだ数回です。大船渡はおとといも雪でしたし」

そう答えた翌28日に、千葉県内でグラウンドコートを着ながら初のブルペン投球。同30日にはブルペンで151キロを出し、同31日には作新学院(栃木)との練習試合で156キロ。後に本人が高3時のベストピッチと振り返っている。

試合後に「160キロ以上」と夏までの目標を掲げたわずか6日後に、日本代表候補合宿で163キロを出した。報道規制も敷かれ、取り巻く世界がガラッと変わっていった。

4月20日、仙台育英(宮城)との練習試合は、今は試合で投げていないカーブをはじめ、変化球主体だった。ひじに負担がかかるスライダーは極力減らした。国保陽平監督は4月中旬に骨密度測定を行ったとし「まだ大人の体になっていない。スピードに耐えられる体じゃない」と明かした。

ストレッチを重点的に行いながら、レベルアップを目指した。セーブしながらも練習試合での登板は行った。週末のたびに早起きし、東北各地への遠征に向かった。甲子園出場をかなえるため、県内の高校との対戦はなるべく避けておきたかった。部員の父親が大型免許を取得し、四国4県とほぼ同じ広さの岩手県を飛び出し、秋田や青森、宮城などをバスで駆けめぐった。ナインも、応援に駆けつけた保護者同士も、そうやって絆を深めていった。

夏が近づき、佐々木のマウンドも増えてきた。開幕直前には大会を想定しての連投も行った。土曜日に柏木農(青森)戦で5回70球を投げると、翌日の日曜日に盛岡一(岩手)戦で9回140球を投げた。2日間で打者53人から30個の三振を奪い、上向きの状態で最後の大会を迎えた。

大船渡高は例年、夏の大会中は盛岡近郊で合宿を行ってきた。この年も温泉地に宿泊し、疲労回復も含めて万全の態勢を整えた。雨天順延もあったが、2回戦(初戦)の遠野緑峰戦は先発し2回無安打無失点、3回戦の一戸戦も6回無安打無失点。文句なしのスタートで、悲願の甲子園へ勢いをつけた。

一戸戦では各球団スカウト陣が、高校野球ファンたちとともに早朝5時から花巻球場の開門を待って長い行列を作った。後に入団するロッテからは、松本球団本部長も初視察を行い「ものが違います。トップレベルであることは間違いない。高校生で入ってすぐ活躍できる投手はスライダーがいいんですが、彼にはそのスライダーもある」と絶賛していた。(つづく)【金子真仁】