17年の春、沖縄の興南高校グラウンドで、コーチの砂川太から「ちょっとみていってよ」と袖を引っ張られた。薄暗いナイター照明のもとブルペンで投げていた小さな1年生左腕。それが宮城大弥だった。

U-15日本代表では及川雅貴(阪神)らとチームメート。高校進学したばかりで、砂川と「140キロぐらいかな?」とうなずきあった。その夏、スーパー1年生として甲子園に出場、智弁和歌山に1回戦負け。宮城が泣いた日だった。

プロ入りしたあの宮城がオリックス2年目、開幕から無傷の5連勝でスポットを浴びている。球速150キロ超えは、あれから4年の月日を経た成長の証し。球団で開幕カードに投げた10歳代投手の先発勝利は、1957年(昭32)の阪急ブレーブス米田哲也以来、64年ぶりという。

米田の記録をたどっていくと気が遠くなる。57年から18年連続2ケタ勝利。通算949試合登板、350勝は、いずれも歴代2位。サウスポー梶本隆夫と「ヨネ・カジ」で、左右の両輪として阪急の黄金期を築いた。“ガソリンタンク”の異名をとったレジェンドは宮城の試合を見ていた。

「身長が高くないのなら、ボールを低めに集めながら、高めを捨て球にしたらいい。力感があるし、あのスライダー、カーブは武器。これからもっと下半身を鍛えれば、いいピッチャーになる可能性はあるね」

宮城は90キロ台のカーブで緩急をつけるが、米田も快速球に大きいカーブが得意だった。「スライダー、フォークは手先で投げられる。でもおれのカーブは手首をグニュンとひねって投げたから、人にはマネができんよ」。ドロップのような軌道だったのだという。

「カーブというのは打者のタイミングを外すには効果的な球種なんだ。左投手のカーブだから右打者が打ちやすいと思ったら間違いで、大きいカーブは逆に右打者のほうがてこずるだろうな。それと簡単にいえば、スライダー系の球が右打者の膝元でちょっとだけ沈めば理想的で絶対打てないんだけどね」

350勝男の「一流投手はボールを操るもんよ」という変化球の極意。「おれのいういい投手とは勝てるピッチャーのことだ。宮城が次の阪神戦で勝つには(左の)1、2番を徹底して抑えにかかることだな」。プロ入り後の成績で同期の佐々木朗、奥川、西純らを上回る宮城にとって、交流戦はさらにのし上がる絶好の舞台になる。【寺尾博和編集員】(敬称略)