東北で育った左腕が岩手でさらに輝く。南東北大学野球の石巻専大・斎藤智哉投手(4年=米沢中央)が、社会人野球、トヨタ自動車東日本(岩手・金ケ崎町)に内定したことが分かった。制球力を武器とし、直球に3種類の変化球を織り交ぜる技巧派で、6月の全日本大学野球選手権出場に貢献した。与えられた登板機会で好投し、チームを都市対抗と日本選手権の「2大タイトル」出場に導く。

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東北で野球人生を歩んだ斎藤が、岩手でさらなるステップアップを目指す。福島・喜多方出身で高校は米沢中央(山形)でプレー。石巻専大(宮城)では1年春から登板し、今春は優秀選手賞を獲得する活躍で、4年ぶりの全日本大学野球選手権出場に貢献した。入社後の目標は「1年目は自分がどこまで通用するか分からないので、戦力になれるように。息の長い選手になりたい」と夢を描いた。

掲げた目標を実現した。2年秋は中継ぎで6試合に登板し防御率1・13をマーク。好成績を残したことで意識も変わった。「もっと野球を続けたい、うまくなりたいという意識で大学に入学した。2年秋に結果が表れて『自分も社会人野球でやりたい』と(酒井健志)監督やみんなに伝えるようにしていた」。言葉に出すことで自覚も芽生え、そして、上級生になるにつれてチームメートを引っ張る思いもさらに強くなった。

苦い思い出を成長に結びつける。自身初の全国舞台となった天理大との選手権1回戦は先発で4回途中3失点。役割を果たせず、コールド負けした。それでも「もっと上のレベルを見られたのはすごく刺激になった」。大会後はフォームの研究に取り組み、今秋は主に中継ぎで9試合に登板。18回を投げ23奪三振、防御率は0・00だった。「縦回転に投げるイメージに変えたことで、真っすぐと変化球の腕の振りが一緒だったと言われるようになった」と、好投の要因を説明した。 トヨタ自動車東日本は12年創部と若いが、18年に都市対抗初出場を果たした。酒井監督は「ここぞという場面で『斎藤智哉』に頼りたい、任せたいと思われるような投球スタイルや練習の姿勢を期待しています」と教え子の飛躍を願った。斎藤は「エース格になりたいとは思うが、自分自身は先発も中継ぎも抑えも全部できると思っている。チームで求められているポジションを早く見つけて、そこで一番になることが目標」。託された場面で結果を残し、社会人野球の全国舞台でもマウンドに上がる。【相沢孔志】

◆斎藤智哉(さいとう・ともや)1999年(平11)12月10日生まれ、福島・喜多方市出身。小学1年時にけやきスポーツ少年団でソフトボールを始め、喜多方二中で野球部。米沢中央高では2年夏に県4強。石巻専大では1年春からベンチ入り。左投げ左打ち。177センチ、80キロ。家族は両親と弟3人。趣味は読書。好物はから揚げ。