日刊スポーツはオリックスの25年ぶりリーグ優勝を記念し、「火曜B」と題したスペシャル企画を来年1月末まで毎週火曜日にお届けします。第3回は現役時代に最後の阪急戦士としてプロ野球最長の実働29年、そして今季、古巣の指揮官就任1年目で大輪を咲かせた中嶋聡監督(52)編で、記者の取材ノートをひもとき秘話を紹介します。

    ◇    ◇    ◇

日本シリーズが深まるにつれ、テレビ画面越しに伝わってくる中嶋の殺気は、マスクで隠しきれなくなっていた。接戦続きで神経はやられ、睡眠を削られ、ギリギリの状態だったのだろう。すべてを絞りだしても勝てないのだから、勝負は非情だ。だが、運命を静かに受け入れ「来年はもう始まっている」と、自らに安息を許さなかった。中嶋らしい敗戦の弁だと思った。

中嶋はいつも本気で夢を追う。

「イチロー、お先!」

そう言って日本をたったのは97年、28歳の秋だった。オリックスからFA宣言し、メジャーを目指した。「僕も行きますからね」と笑ったイチローが、マリナーズに電撃移籍する3年も前の話だ。

当時、オリックスの本拠地グリーンスタジアム神戸のロッカールームには、米球界挑戦を夢見る若者たちがひしめいていた。97年にひと足早く海を渡った長谷川滋利、メジャー志向をひそかに温めていたイチロー、カージナルス入りする田口壮。ブルワーズに入ることになる野村貴仁もいた。彼らと夢を語り合ったのが中嶋だった。

当時ロサンゼルス支局にいた私は、代理人とともに移籍先を探す中嶋を追いかけた。フロリダ、アリゾナ、ロサンゼルス…。いい知らせが届かず、閉店時間のすぎたバーでバドワイザーの空き瓶を前に、不安を募らせる姿は見ていてつらかった。オファーがあったのは、マイナー契約のエンゼルスだけ。悪条件をのんで夢を追うべきか。中嶋は迷いに迷い、西武を選んだ。

18年後の15年9月。日本ハムの捕手兼コーチだった中嶋から「引退するわ」と電話をもらった。コーチ業に専念するのかと思ったら、米国に行くのだと告げられた。「ずっと、球団にお願いしてたんよ。あのとき行かなかったから」。籍を日本ハムに置いたまま、業務提携していたパドレスに野球留学して米球界を見てくるという。そういえば、西武時代に再会したとき「メジャーの夢を見るんや」と漏らしたことがあった。

日本で中嶋と仕事で接する機会はほとんどなかったが、米国への思いなどみじんも見せず、縁の下で黙々と誰かを支えているように見えた。だから西武でも、そこから移籍した横浜でも、日本ハムでも必要とされ続けたのだと思う。だが一方で、メジャーに焦がれ、忘れられずに苦悩するもう1人の中嶋がいた。なんてひたむきで、ロマンチックで、不器用な生き方なのか。

米国から戻った中嶋は日本ハムのコーチに復帰した後にオリックスに呼ばれ、今年から監督になった。そして、日本一という新しい夢を見るようになった。1年目でかなえることはできなかったが、その夢はけっしてあきらめない。それだけは、間違いない。(敬称略)【元メジャーリーグ担当=村野 森】

中嶋聡(なかじま・さとし)

◆球歴 1969年(昭44)3月27日、秋田県生まれ。秋田・鷹巣(たかのす)農林では甲子園出場ならず。強肩強打を武器に86年ドラフト3位で阪急入団。

◆デビュー 87年10月18日南海戦(西宮)に8番捕手で先発出場。オリックス誕生1年目の89年に121試合に出場して正捕手に。

◆素手捕り 90年9月20日の日本ハム戦(東京ドーム)で、星野伸之のスローカーブを右で素手捕球。星野への返球が投球より速かったことで両軍ベンチや客席が沸き、星野は苦笑い。

◆2連覇 阪神・淡路大震災直後の95年「がんばろう神戸」を合言葉にオリックス初優勝。ベストナインに選ばれた。翌96年は巨人を倒して初の日本一に。イチロー、田口壮らとともに黄金時代の一員となった。

◆米大断念で西武へ メジャーを目指し、97年オフにFA宣言。交渉はまとまらず、正捕手に伊東勤がいた西武を移籍先に選んだ。

◆松坂の女房役 99年ドラフト1位で入団した松坂大輔の専属捕手として出番が増える。型にはめず気持ちよく投げさせるリードが松坂の能力を引き出した。

◆移籍 02年オフのトレードで横浜(現DeNA)に移籍。03年オフに金銭トレードで4球団目となる日本ハムに移籍。07年からバッテリーコーチ兼任。

◆最後の阪急戦士 同期入団だった高木晃次が09年引退し、阪急に在籍した最後の現役選手となった。

◆実働29年 46歳の15年に2試合出場し、実働29年に到達。工藤公康、山本昌と並ぶプロ野球最長。パ・リーグでの28年は単独最長。同年引退。3球団で日本シリーズに出場。球宴出場6回、ベストナイン、ゴールデングラブ賞各1回。

◆引退後 16年から日本ハムのGM特別補佐としてパドレスに派遣され、18年は1軍コーチに復帰。19年からオリックス2軍監督。昨年8月、西村監督の辞任後に監督代行。今季から正式に監督に就任した。

◆サイズ 182センチ、84キロ。右投げ右打ち。