思わず「えっ、壁当て?」と聞き返してしまった。阪神熊谷敬宥は今季、細い柱のような壁を相方にしているらしい。

「秘密の練習なので、あまり知られたくないんですけどね」

そう照れ笑いする本人にちょっと深掘りさせてもらうと、どこまでも実直な姿勢が浮き彫りとなった。

甲子園ナイターゲームの当日、背番号4は午前10時頃にはもう球場に到着している。体幹トレにマシン打撃、ランニング…。さらに今年から壁当てもルーティンに組み込んだそうだ。

場所はまだ誰もいない一塁側室内ブルペン。柱のような壁に黙々とボールをぶつける。薄暗い空間から「コンッ、コンッ…」と衝突音が聞こえてきたら、事情を知らない関係者はゾッとしてしまうかもしれない。

なぜ26歳にしてもう1度壁当てを? 素朴な疑問をぶつけると、熊谷は師匠の姿に感銘を受けたのだと明かした。

「あれほどの名手でも基本をすごく大事にしているんだと知って、基本を継続しないとうまくなれないと気づいたんです」

今年1月、広島菊池涼介が主催する静岡合同自主トレに初参加。基礎練習と準備の大切さを、身をもって痛感したようだ。

とはいえ、地道すぎる練習はなかなか継続できるモノではない。やはり熊谷は努力する才能にたけているのだろう。

プロ5年目の22年は1歩1歩着実に階段を上っている。

初の開幕1軍スタート。4月20日DeNA戦で552日ぶりの安打を記録。翌21日の同戦では545日ぶりのスタメン出場も果たした。6月11日オリックス戦の11回表に決めた「神走塁」はまだ記憶に新しい。

そして、26日の中日戦では11回裏にプロ初のサヨナラ打まで放った。

「僕はどうしても力みすぎる。菊池さんのゆったり楽に構えるスタイルを参考にさせてもらって、今は無駄な力を抜いて打ちにいけるようになっています」

両肩の力を抜き、軽くバットを揺らしながら構える。こちらも懸命な試行錯誤が実った形だ。

「今は後から出ることが多いですけど、やってきたことや準備を信じて、結果を残していきたいんです」

そう熱く語っていた苦労人がスポットライトを浴びれば、仲間や首脳陣の心が動かないはずがない。

「脇役になっているタカヒロが決めてくれるっていうのは…。誰が決めてくれてもうれしいんですけど、ああいう必死にやっている選手が打ってくれるのはうれしいですね」

サヨナラ打の直後、矢野燿大監督がひときわ強い賛辞を送ったのには、理由がある。【遊軍=佐井陽介】