おかわり君はいつも、いつまでも自然体だ。西武中村剛也内野手(39)が史上56人目のプロ通算2000試合出場を達成した。ロッテ戦(東京ドーム)の7回、フェンス直撃二塁打を放つと、岸の適時打で激走の生還を果たした。巨漢でも、変わらぬ準備があるからこその好走塁。年齢なんて関係ない。「節目」を意識せず、日々流れるままに。若手が多く発展途上の西武の、最高の手本だ。

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記念のボードを持ったのは5回裏を終えてのこと。まだ試合中で、いつものスマイルはない。右中間にフェンス直撃打。苦笑いで首をひねる。激走で生還。疲れたようにまた笑う。中村剛也はいつも自然体だ。

4日、ZOZOマリン。試合前に熱せられたフェンスに腰かけた。「東京、暑い」。2000試合まで残り3試合の日。「いやぁ、特には」。今年で40歳。「別に、僕は節目と思っていないので」。深い感慨もなく、淡々としみじみと。

18歳まで世界は近所にあった。「家、近くて。歩いて5分。中学と高校、通学路も同じなんですよ」。PL学園からは声が掛からず、進んだ近所の大阪桐蔭で83発を放った。大阪で18年、埼玉で22年目。暑さは少し大阪に近づいてきたけれど、ずっと同じ2つだけの景色に生きる。プロ野球人生の大きな節目は-。

尋ねると「えーっ!?」と声を張った。

「区切ること、ないっすね。言われてみれば。でも、結婚かなぁ。試合で結果出始めたの、結婚した後ですし。いま考えれば、節目だったのかなぁ」

やがて子どもたちを見つめる父にもなった。それでも毎日は同じだ。

「いつまでたっても子どもは子どもなんで。それ感じるの、大人になってからかもしれないですね。高校とか大学とかで、家を出て行くとか。家の中から1人いなくなって、そういう時に節目を感じちゃうかもしれないですね」

球宴に選出され「ベンチでどっしり座っている姿を見せたいと思います」と笑わせた。冗談半分ながら、それは“おかわり君”と親しまれ続ける中村剛也のスタイルでもある。

動じず、流れのままに。行雲流水のごとく2000試合を重ねた。ケガも多かった。光陰矢のごとし、とかではない。「うん、長いっしょ」と笑う。短い言葉に凝縮させる。卓越の技術とスマイルが代名詞。愛されながら22年目。また同じ明日が来る。【金子真仁】

▼通算2000試合出場=中村(西武) 6日のロッテ12回戦(東京ドーム)に先発出場して達成。プロ野球56人目。西武では伊東2379試合、栗山2204試合に次いで3人目。初出場は03年9月28日の日本ハム28回戦(東京ドーム)。この日は4番・DHで、デビュー戦も4番・一塁で先発。初出場と2000試合目がともに先発4番の選手は初めて。

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