阪神が2年ぶり7度目のリーグ優勝を決めた。
6日に優勝マジックを「1」とし、一気にゴールテープを切った。90年巨人より1日早い、2リーグ制後最速の優勝決定になった。
藤川球児監督(45)は就任1年目。新人監督が優勝に導くのは、球団初の快挙だった。
頂点までの道は、藤川監督の視野の広いマネジメントが光った。昨季の1、2軍総入れ替え数134回に対し、今季はここまで199回。現時点でシーズン225回ペースと、大きく上回る。選手の状態を繊細に見極め、積極的に入れ替えを行った。
リリーフ投手出身だけに、特にブルペンの整備には隙がなかった。「ブルペンはチームの心臓」と語り、主力にも休養を取らせながら戦った。その分、若手らにもチャンスが巡ってくる好循環が生まれた。
野手も新戦力や新たに台頭した選手を加えた。複数ポジション制をとり、選手起用の幅を広げた。左翼のレギュラーを決めず、登録ポジションにこだわらず何人もの若手を参戦させたのが象徴的だ。バイプレーヤーで控えていた熊谷敬宥内野手(29)は先発でも積極起用。もともとの高い能力を余すことなく発揮。現役で一緒にプレーした選手たちも多く、コミュニケーションを取りながら適材適所で起用した。
20年に引退した藤川監督は、コーチ経験がない状態で球団に白羽の矢を立てられて1軍監督に就任。球団90周年の節目に期待に応えた。恩師である岡田彰布氏(67)からチームを引き継ぎ、強固な軍団を作り上げた。
◆藤川球児(ふじかわ・きゅうじ)1980年(昭55)7月21日、高知県生まれ。高知商2年夏に甲子園出場。98年ドラフト1位で阪神入団。05年、ウィリアムス、久保田との救援トリオ「JFK」の中核を担いリーグ優勝に貢献。06年途中から抑えを務め、07年の46セーブはセ・リーグ最多タイ。12年オフにFAでカブス移籍。15年にレンジャーズへ移籍し、自由契約となった後は独立リーグ四国IL・高知に加入。16年に阪神復帰。20年限りで引退。NPBでは782試合に登板し、60勝38敗、防御率2・08。通算243セーブは歴代6位。引退後は球団本部付スペシャルアシスタント(SA)を務め、25年から1軍監督。185センチ、90キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸8000万円。



