高く上がった中飛が近本のグラブに収まるのを見届けると、阪神佐藤輝明内野手(26)は大山と熱く抱擁した。円の中心でもみくちゃにされて、満面の笑みはほどけない。「このためにやっているようなものなので。今日は最高です」。重ねてきた取り組みが報われた、幸せの時間だった。
36本塁打89打点の両リーグ2冠という圧倒的な数字でチームをけん引。シーズン中、連絡を取った近大時代の恩師・田中前監督から質問を受けた。「好調の要因は?」。返信は至ってシンプルだった。「バッティングに関する理解が深まってきました」。
きっかけは前回優勝後の23年オフ。大学時代から師事する高島茂誉トレーナー(45)に訴えた。「もっと上を見たい。中途半端なことをやらず完全にシフトチェンジしたい」と。
24発を放って優勝しても物足りなかった。着手したのは確実性などの向上が見込まれる、スイング軌道の本格改造。肩を回さず、脇腹を傾けるような「縦回転」で上体を動かす形を目指した。もちろん染みついたフォームは簡単に変えられるものではない。リスクも大きく、翌24年は初めて20発にも届かなかった。それでも、目指す形を信じた。
「今までの積み重ねが生きてここまで来られた。変わる時はきっかけひとつで変わるけど、積み重ねが絶対に必要。いろいろやってきてよかった」
昨オフの自主トレでは3時間ぶっ通しで打ち続けることも日常。一緒に練習した後輩の手が赤く腫れ上がっても、平然と振り続けた。食事中も打撃の会話。1日の最後に行う治療中も、打撃映像を見てトレーナーと分析し合った。議論が白熱すると、その場でスイングチェック。気づけば深夜1時や2時になったこともある。過去には「練習嫌い」とも誤解されたが、真の姿は全くの別物。「面白い本を買ってみたんですよね」と解剖学の本を手にするほどの探究心だ。数年単位で積み重ねてきた努力が結実した1年だ。
球界屈指の4番打者となった飛躍の年。一方で夢を与えるプロ野球選手としての信条は変わっていない。仁川学院野球部の4学年後輩、槙原葵人さん(22)は勇気をもらった1人だ。
5年前、当時高校2年の槙原さんは一度乗り越えた急性骨髄性白血病を再発した。絶望の淵で励ましに来てくれたのが、阪神入団直前の佐藤輝だった。「バットは何使ってた?」「身長何センチ?」。初対面ながらたわいもない会話を交わし、退院時にはバットもプレゼント。今も大切な宝物に変わりない。
槙原さんは言う。「佐藤さんのおかげで僕は毎日頑張れていますと伝えたい。打席や活躍を見るのが生きがい。明日も頑張ろうという気持ちになれるんです」。現在は大学4年生となり、当時から夢だった理学療法士に向けて勉強中だ。
近況を伝え聞いた佐藤輝も語り合った夢を覚えている。「ちょくちょく言っていたと思うので。夢をかなえてほしいです」。今年8月にはSNSで「頑張っているみたいやね」と連絡。甲子園での8月30日巨人戦に招待し、2安打1打点の活躍でエールを送った。
活躍が誰かの活力に変わる特別な職業。かつてイチローに憧れた野球少年は、夢を与える立場となった。
「そういう数少ない職業だと思う。そこは誇りに思っています。他の人にはできないことなのでね」
この日の甲子園には今季最多4万2649人が来場。一生忘れられない1日になったに違いない。誰かの希望につながる一打を、打ち続ける。【波部俊之介】
▽仁川学院・中尾和光部長(佐藤輝の2年時まで監督)「今年はコンスタントに本塁打が出て、試合を決める本塁打も多かったですね。不安なく、ワクワクしながら見せてもらいました。今年残している数字は、ようやく球団の期待に応えられたのかなと感じます。2年ぶりの優勝おめでとう」
▽甲東ブルーサンダース・高嶋年之代表(コーチとして小学1年時から佐藤輝を指導)「心から『おめでとう』と言いたいです。非常にデリケートで、小さいころから真面目でストイック。チームを引っ張る姿を見てとても成長したなと感じます。真の阪神の4番の顔になってきたと思います」



