<球界関係者の自殺>

 ◆平岩治郎・中日スタヂアム社長

 1973年(昭48)5月23日、関連事業の経営不振を苦に三重・志摩郡の大崎海岸で自殺。

 ◆古谷真吾・阪神球団代表

 88年7月19日、宿泊先の東京・紀尾井町のホテルから飛び降り自殺。バースの退団問題、掛布の引退騒動などの処理に苦慮しており、心労が重なっていた。

 ◆仲谷義明・ナゴヤ球場社長

 88年11月18日、名古屋市内の個人事務所で首つり自殺。老朽化したナゴヤ球場の改装問題に加え、地元財界では別に球場を造る話が持ち上がり、対応に苦慮していた。

 ◆渡辺博之・元阪神外野手、同大野球部監督

 90年(平2)10月2日、京都市の自宅で夫人とともに首をつっているのが発見される。持病の心臓病の悪化と家庭内のトラブルを苦に心中したとみられる。

 ◆渡辺省三・阪神スカウト

 98年8月31日、神戸市内のビルの屋上から飛び降り自殺。動機は不明。

 ◆三輪田勝利・オリックス編成部長

 98年11月27日、沖縄・那覇市内のマンションから飛び降り自殺。ドラフト1位指名した同県内の高校生投手がかたくなに進学を希望し、交渉が難航していた。

 ◆高野光・元ヤクルト投手

 00年11月5日、都内の自宅マンション7階から家族の制止を振り切って衝動的に飛び降り自殺。仕事上の悩みを抱えていたとみられる。

 [2010年2月5日21時39分]ソーシャルブックマーク