<西武9-4日本ハム>◇11日◇西武ドーム

 被災者に、親友にささげる1勝だ。西武菊池雄星投手(20)が日本ハム戦でプロ3度目の先発登板に臨み、6回0/3を投げて10安打を浴びながら4失点と粘って2勝目を挙げた。7月5日に花巻東高時代のチームメートだった佐藤涼平さん(享年20)が亡くなってから、初めてとなる1軍マウンド。そして東日本大震災から5カ月という節目の日に、岩手・盛岡出身の左腕が白星をつかんだ。

 途中降板した自分を甘やかさなかったのか、それとも誰かに勝利を報告していたからなのか。菊池の表情は最後まで硬かった。立ち上がりに3球で失点、結局10安打浴びて4失点。それでも念願の本拠地初勝利が転がり込んできた。まるで天国から佐藤さんが見守ってくれているようだった。

 勢いで勝った初勝利とは違う。剛腕が顔をのぞかせる瞬間は、確かにあった。2回1死、金子誠を真ん中高め、ねじ伏せるような148キロで空振り三振。プロ入り後最速の1球を「今までは自分自身と、フォームと闘っていた。フォームがまとまって、どうやって抑えていくかを考えればよくなってきたと思います」と会心の表情で振り返った。

 1回に多投したチェンジアップが2勝目の進化だった。オリックス戦でプロ初勝利を挙げた翌日から2軍調整となり、残りのシーズンを1軍で投げるために策を練った。オリックス戦で使った「スプリットチェンジ」を封印し、ボールをはさまないチェンジアップのマスターに集中。「本当はフォークとか(はさむボール)も投げたいんですけどね。でも今は練習するボールを限定した方がいい」。今勝つために、未熟な変化球をあえて切り捨てた。

 そうまでして勝ちたい理由があった。7月5日、日体大野球部2年の佐藤さんが亡くなった。自殺とみられている。翌6日、寮から出てきた菊池の目の周りは真っ赤にはれていた。「(亡くなる直前も)変化はなかったと思う。何もしてあげられなかった」。6月12日の1軍初登板翌日には一緒に食事をした。プロ初勝利を挙げた時は「雄星が勝ったぞ!」と友人や知人に片っ端からメールをしてくれた。東日本大震災で大きな被害を受けた岩手に「野球で明るい話題を届けよう」と、誓い合っていた同志でもあった。

 現役引退後は地元で居酒屋経営を夢見る菊池と、中学教師として野球を広めることを考えていた佐藤さん。2人の人生は重なっていくはずだった。「誰よりも野球が好きなやつだった。涼平が見てくれていると思って、涼平の分までと言っていいか分からないけど、頑張りたい」。今度は、一方的に約束した。

 震災からちょうど5カ月。その震災で祖父母を亡くした星孝とのバッテリーで勝ったが「10安打されてますし(結果を出すのに)5カ月もたってしまった。ここから少しずついいニュースを届けたい」と気合を入れ直した。渡辺監督は今後のローテ入りを示唆している。「(31日に)盛岡での試合もある。自分にとって負けられない試合が続くと思います」。20歳には重すぎる現実の数々。すべてを背負い、投げ抜く覚悟はできている。【亀山泰宏】