国際大会ではとんでもないことが起こり得る。侍ジャパンから鈴木誠也(カブス)が離脱するなど、だれが想像しただろうか。衝撃を受けたのは、世界一に輝いた09年WBC大会も同じだった。

第2ラウンドの韓国戦(米国サンディエゴ)の4回、中前打を放って一塁を回ろうとした村田修一が右太もも裏を痛めた。両脇を抱えられてベンチに戻った様子に、監督の原辰徳は即座にアクションを起こす。

いったんは28人の代表メンバーから外した広島栗原健太を日本から呼び寄せた。しかも、ベンチから広島球団本部長・鈴木清明に電話をし、主催者の了解も得るまで、村田の故障から1時間もかからなかった。

原は「あーやっちゃったなと思った」と振り返ったが、栗原の緊急招集にも“ある思い”が秘められた。代表から落選した栗原だが、直後にも巨人の2軍選手と特打に取り組んだ。

その光景を見逃さなかった。「村田は素晴らしい戦いざまをみせてくれた」とたたえる一方、すぐに栗原を出国させた。リーダーとしての素早い決断力は短期決戦を勝ち抜くポイントだった。

2月の巨人宮崎キャンプでは、原ジャパンを支えた投手コーチの山田久志と論じ合った席で意見が一致したのは、勝つためのぶれない信念と「ストッパー」の人選だ。

イチローが不振で批判されても外さなかった。今もテレビに映し出されるイチローが世界一を決めた一打に、原は「あれもダルビッシュが1点に抑えてくれたから、イチローに巡ってきたんです」と解説した。

それまでも幾度も奇跡が起きた。「負けたら日本に帰らなくてはいけなかったから一番のプレッシャーでした」といったキューバ戦は濃霧がかかった一戦で、キューバの名手セスペデスのまさかの落球に助けられる。

準決勝を前にしたダルビッシュに「守護神」を言い渡したのは山田久志だ。藤川球児、馬原孝浩ら専門職も絶対的とは言えなかった。そこで予期しなかった男に白羽の矢を立てるのだった。

大きなターニングポイントだった。ずっと先発だったダルビッシュに抑えを託すことに、原も、山田も最後はためらうことはなかった。それは“情”に流されることのない“非情”に徹した決断だった。

「山田さんからダルビッシュに一言いってくださいということでした。最初はかたくなに『ノー』でしたが、次の日はもう観念してましたね」

また調子の出ないイチローを側面から気遣い、投手の人選、見極め、短期決戦ならではの継投の妙をみせた山田は「試合を重ねるごとに盛り上がっていったし、強くなった」と振り返った。

現場にいた拙者も、ダルビッシュが抑え、イチローが打ったシーンは、たまらなくゾクゾクした瞬間だった。監督は「お前さんたちは、強いサムライになった!」と名言を残すのだった。

世界一のサクセスストーリーが感動的だったのは、その前の08年北京五輪でメダルなしに終わっていたリバウンドもあった。サムライジャパンがあの年以来の頂点を狙う。いよいよドラマの幕が上がる。(敬称略)