侍ジャパンの佐々木朗希投手(21)が「3・11」に投げた。チェコ戦に先発し4回途中1失点、8奪三振で最速164キロの快投を見せた。

地元の岩手・陸前高田市の長田正広さん(57)は「3・11で投げて。地元もすごく盛り上がってた。何というか、特別な…みんな勇気もらったんじゃないかな」としみじみ話した。

11年3月に起きた東日本大震災で被災した。震災で亡くなった佐々木の父功太さん(当時37歳)とは、同じ町内会の仲間だった。長田さんは地元で長く愛される中華料理店「四海楼」を切り盛りしながら、仲間たちとの飲み会や年1度のスノーボード旅行を楽しんでいた。陸前高田市の高田町には、年に一度の夏祭り「うごく七夕」がある。団結力の強い町内会だった。

飲み会ではよく、オリジナルの鍋料理を差し入れした。ひき肉や野菜がたっぷり入った担々鍋。佐々木の両親がその味にはまり、いつしか佐々木家の大みそかの風物詩になった。

「鍋を持っていくとさ、夜8時ごろかな。功太が『御礼にこれどうぞ!』ってアワビの刺し身を持ってきてくれて」。除夜の鐘はいつも幸せを引き立てる音だった。

大津波が全てを壊した。長田さんは「何人も亡くなったよ。功太だけじゃない。一緒に飲み会してたケイタも、マサルも。悔しいよ。全部流された」と目を赤くする。

四海楼は仮設店舗を経て、19年4月3日、盛り土で10メートル以上かさ上げされた新しい大地に新店舗がオープンした。その3日後、佐々木が国内高校生史上最速となる163キロをマーク。奮い立たされた。

亡き友の忘れ形見が、プロ野球に挑む。長田さんは「もう1度、あれを作ろう」と決意し、担々鍋の〆としていつも準備していた「麻婆担々麺」にトライ。仕込みは大変だが、通常営業の傍らで懸命に試作を重ねた。プロ入り前の12月には佐々木家に完成品を披露。昨年、佐々木が完全試合を達成した後には店で通常メニューとして出し、売れに売れている。

佐々木は辛いものが苦手だが「あの担々麺は本当においしいんです」とうれしそうに話す。麻婆担々麺はその後「もう少しマーボー豆腐を本格的にしたんだ」(長田さん)と、よりサンショウの効いた深い味わいになっている。

佐々木は地元などで猛練習に励んだ昨年12月31日、今も野球を続ける大船渡高野球部の仲間たちとともに四海楼を訪れた。大みそかながら、長田さんが激励の思いを込めて店を開けた。麻婆担々麺と、絶品として県内外で知られる杏仁(あんにん)豆腐を佐々木たちに出した。

懐かしい味を大みそかに食べる-。佐々木にとっては家族全員で新年を迎えて以来、実に12年ぶりのこと。「うまい!」と若者たちの夢中になる声が、何度も聞こえたという。

長田さんは今夜、テレビを見ながらあらためて感じた。「朗希、どんどん功太に似てくるんだよな。今日なんかずっとアップで映ってたし、アゴのあたりとか功太にそっくりだよ」と話す。「また来いよ」と見送った昨年の大みそか。「少し顔つきもスッキリするような気がするね。完全試合やったり、プロ野球の世界にちょっとずつ落ち着いてきたのもあるのかな」。うれしそうに話す。

どんどん遠くに行ってしまうから、たまに会えるとうれしい。「朗希、いつかメジャーに行っちゃうんだろうな。もう165キロだもんね。すごいよな。あと2キロくらい出るんじゃないかな」。腕を振る姿に刺激をもらいながら、鍋を振る。【金子真仁】