秋場所を最後に引退した、高砂部屋でちゃんこ長を務めた元大子錦の斉藤佳信さん(42)に話を聞いた。角界での思い出を中心に、約25年の相撲人生を振り返ってもらった。その中で、定番の質問「入門のきっかけは何でしたか」と聞くと、当時を思い出して楽しそうに振り返ったのが印象的だった。

1995年、高3の夏休みだった。斉藤少年のもとに、担任の先生が訪れた。一緒に訪れたのが高砂部屋の関係者と、地元の茨城・大子町の先輩で高砂部屋の久慈乃里の父。レスリングにのめり込んでいた斉藤少年は当時、体重120キロほどと恵まれた体格をすでに持っていた。角界関係者がほっとくわけもなく、勧誘を受けたが「嫌です」と断った。当時の夢は料理人だった。

夏休みが明けた、9月のある日。学校が大騒ぎとなった。「高砂部屋にいたことは知りませんでしたけど、相撲素人の僕でもさすがに分かりました。だってこの間までテレビで見ていた人ですから。学校も大騒ぎでした」。秋場所で勝ち越し、返り三役を目指していた水戸泉が学校を訪れたのだった。目的は斉藤少年の勧誘。「部屋の稽古が始まったら部屋に来なさい」。さすがに気持ちが揺れ動いた。

勧誘を受けて数日後、おそるおそる都内にある高砂部屋の朝稽古の見学に行った。朝稽古が終わり、ちゃんこをごちそうになる時だった。見学に来ていた後援会関係者らと一緒に、1階か2階で食事をすると思ったら、通されたのは3階。おかみさんに「これから何度も来るのも大変でしょうから」と言われ、入門に必要な書類を渡された。「もう流れるがままですよ」と、あれよあれよと必要事項を記入。最後は「母印でいいから」と母印を押して、高砂部屋への入門が決まった。反対されるのを少し期待しつつ、帰宅して両親に相談。「やるならやり通しなさい」と言われ気持ちが固まった。

95年九州場所で初土俵を踏み、25年の相撲人生。最高位は三段目だったが、濃密な相撲人生だった。「朝青龍関とか小錦関とか、横綱、大関を間近で見ることができた。長い歴史の中でも、なかなかないこと。しかも辞める間際に、朝乃山が大関に上がった。すごい時代にいたなと思います。いい経験をさせてもらった」としみじみと話した。

昨年夏場所で朝乃山が初優勝した際には、母校の近大から46キロの「近大マグロ」が届いた。さばき方を動画サイトで見ながら4時間かけてさばいたのも、長いちゃんこ長時代でのいい思い出。「でもね、横綱(朝青龍)がいた時には50キロのアラが届いた。それが今までで一番でかい魚でしたね」と楽しそうに振り返るなど、思い出は尽きなかった。

師匠の高砂親方(元大関朝潮)の後援会関係者からの紹介で、11月から岐阜県内の会社寮で寮長を務めることになった。「師匠も今年で定年。節目の年で区切りにもなる。悔いはありません」と角界に未練はない。「同級生から20年遅れて社会人。少し不安もあるけど、楽しみもあります」。ひょんなことから始まった相撲人生に幕を閉じ、第2の人生に向けて力強く歩みだす。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

高砂部屋ちゃんこ長の元大子錦の斉藤佳信さん(2017年2月14日撮影)
高砂部屋ちゃんこ長の元大子錦の斉藤佳信さん(2017年2月14日撮影)