力士は皆、改名に思いを込める。東幕下57枚目の大成道改め大成龍(28=木瀬)は「何かを変えたかった。勝ち越してほっとした」と安堵(あんど)した。

19年春場所以来の再十両を目指すも遠く、名古屋場所後に師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)から改名の提案を受けた。「即答でした。『龍』は師匠が弟子によくつける字。昇り龍などの意味もありますから」。笹ノ山→大成道と改名し、大成道の時には下の名前を3度変えた。それも木瀬親方の提案だったが「成績が伸びなくて申し訳なかった。今回は『道』を『龍』に変えて勝ち越せた」。勝ち越しを決めて「大成龍~」の勝ち名乗りを受けた時に誇らしい気持ちだった。

元プロ野球巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏の遠縁にあたる序二段4枚目の松井改め豊雅将(18=時津風)は「お世話になっている方」の文字を使って改名した。「雅」は高校時代の恩師の新田雅史氏、「将」は小中学時代の恩師の粂田将和氏からもらった。それに時津風部屋伝統の「豊」をつけて「名前に恥じないように気合を入れたい」と意気込み、3場所連続の勝ち越し。共に恩師らに吉報を届けた。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)