力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)、亡くなりました。享年88歳。日刊スポーツでは、デストロイヤーさんが現役引退した93年7月に連載を掲載しています。今回追悼をかねて復刻版として再掲載します(年齢などは当時のまま)。

 ◇   ◇   ◇

リングから離れたザ・デストロイヤー(61)は、非常に教育熱心な男だ。1971年、デストロイヤーはウイルマー夫人(後に離婚)長男カート(当時10歳)長女クリス(同7歳)次男リチャード(同2歳)を引き連れ、1年間に及ぶアジア、ヨーロッパへの大遠征を敢行した。

ハワイ、サモア、フィジー、オーストラリア、ニュージーランド、日本、ドイツ、インド、シンガポール、香港など約20カ国を、試合や観光のために回った。これは、子供たちに「アメリカ以外にもいろいろな世界があることを見せてやりたかった」(デストロイヤー)からだという。「5、6カ国で試合をして、いろいろな国に足を延ばした。今までで、あんな楽しいことはなかった」とも言う。

この旅行で子供たちは世界の多様さ、言葉の違いなど、子供なりに多くのものを吸収した。長男のカートは「黒人、白人、黄色人種と知り合い、その生活を見てきた。だから、人間を見るとき、勤める会社や、乗っている車ではなく、その人の本質を見抜く自信ができた」と言う。次男のリチャードは2歳でオムツもとれていなかったが、「飛行機の中でトイレの使い方を覚えたんだよ」とデストロイヤーは笑った。

日本に遠征してくる外国人選手は、来日の回数が増えてくると、家族を同伴することが多い。これは、家を空ける機会の多いレスラーの苦肉の家族サービスともなっている。シューズとタイツをバッグに詰め込み、世界を転戦して歩くレスラーでなければできない、社会教育法だ。

また、73年から79年にかけ家族で日本に住み、子供たちは東京・世田谷のセントメリーズ校に通わせた。だが、カートの大学進学の時期となり「大学だけは母国の学校へ」と決心し、日本を離れてもいる。その子供たちも今は手を離れた。現在は生まれ故郷のニューヨーク州バファローで少年少女のスポーツ振興に尽くしてもいる。 【川副宏芳】