新型コロナウイルスは多くの日常を奪っている。日々伝えられる感染者の数字に気持ちはめいり、先の展望が見えない閉塞(へいそく)感が募る。

そんな時代だから、あらためて1人の男の生き様に触れたい。辰吉丈一郎。元WBC世界バンタム級王者で、今も現役を続ける「カリスマボクサー」だ。

日刊スポーツでは7年前、14年3月に「ザ・自伝」と題した10回連載で、辰吉の生き様を追った。当時は「44歳でも現役ボクサー」と熱く語っていた。7年の時をへて、5月15日に51歳の誕生日を迎えた。

過去を振り返る前に、辰吉の今に迫りたく、声を聞いた。

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■最後の試合から12年

「いつもと一緒よ。朝走って、ジムに行って。ジムに行けん時は家でシャドーしたり。(新型コロナウイルスの影響で)落ち込んでる暇なんてないよ。だいたい(自分の中に)リミッターがないから、頑張るしかないやん。しんどいのはみんな同じ。自分がやってきた道を信じて進むしかない。自分しか助けてくれへんのやから」

09年3月にタイで試合を行ったのを最後に12年。現実的に試合を行える可能性は厳しい。それでも辰吉は「現役」にこだわる。父の粂二さん(享年52)と約束した。「世界王者で引退」。加えて最近は新たなモチベーションもわいてきたという。

「ベルトというより、もっとボクシングで強くなりたい。51(歳)はびっくりやんな。この年までやってる。しつこくやってるけどな。こういう型破りがおってもええやん。辰吉らしくていいと思うよ。人がどう言おうが思おうが、自分は自分。50(歳)にはなったけど、動けるからね。動けるからやってる。自分が勝手にやってるだけでおもろいやろ。自分がおもしろいからやってるだけ。こんなやつ、辰吉やからちゃう? 辰吉しつこいもん」

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■辰吉姓に興味と愛着

男手ひとつで育ててくれた「父ちゃん」が亡くなった年に近づいてきた。粂二さんは99年1月に他界。その年の8月、辰吉はウィラポンとの再戦で失神TKO負けと散った。試合後に現役引退を表明もその後、撤回。今につながっている。

「父ちゃんの影響というより、父ちゃんの子やからこうなったと思う。『人がやっているのを指くわえて見ているだけ。そういう人間にはなるな』と言われてきた。父ちゃんは自分が(ボクシング)やりたかったんよ。かなわなかったから俺に託してくれた。父ちゃん、すごいもん。俺なんて足元にも及ばん。今振り返っても、すべての面でかなわん。俺はリミッターぶち切れてるけど(現役を続けるのは)本人が決めること。少なからず、父ちゃんは喜んでくれていると思う」

そんな思いがあり最近、「辰吉」という珍しい名への興味、愛着がよりわいてきたという。

「昔、父ちゃんに聞いたのは「辰吉丸」っていうお金を運ぶ船かららしい。気に入ってるよ、かっこいいし。俺が知ってるのも親戚数人だけやし、ほんまに少ないんよね。だから辰吉は辰吉らしくないとあかんやろ。『あいつまだやってんのか』と思われても、やっぱり辰吉やもん、て。そこを譲らないのが辰吉なんよ」

一方で闘うばかりではない、違う一面も見せるようになった。次男の寿以輝に17年7月、長女の莉羽ちゃんが誕生した。孫娘にはメロメロになっている。昨年、50歳の誕生日の時は当時2歳の孫娘が母親と一緒に焼いたクッキーをプレゼントしてくれたという。「俺もじいちゃんやしな」と穏やかに笑う。

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■タイソン復帰に注目

最後に、8戦目で世界王座を獲得した後、左目網膜裂孔を患い、入院中のエピソードを教えてくれた。症状を悪化させないために、ベッドに寝たまま体を動かせない。ずっとうつぶせ状態もあった。

「体が痛くて眠れん。全身、床ずれってあるんやで」。

約1カ月我慢したが、症状が落ち着いてきてから耐えられなくなった。病室の仲間を集めて深夜、肝試しをやった。

「今となってはいい思い出。21(歳)やったもん。しゃあないからな。こういう人生歩んでるんやから」。

こういうところも、大きな魅力となっている。

米国では最近、マイク・タイソンら〝レジェンド〟がリングに復帰する機運がある。「タイソンすごいな。エキシビションとはいえ、ネームバリューがあるから試合できるんやろうな」と辰吉も注目している。日本のカリスマが、再びリングに上がる日は来るのか。

あってもなくても、辰吉は現役であり続ける。「自分の人生、1回しかないんやから。やりたいことをやる。それが俺の人生」-【実藤健一】

◆辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう)1970年(昭45)5月15日、岡山県倉敷市生まれ。4戦目で日本バンタム級王者。91年9月、WBC世界バンタム級王者リチャードソンを下し、8戦目の当時日本選手最速の世界王座獲得。その後、2度の眼疾による引退危機を乗り越えるも薬師寺との世紀の王座統一戦で判定負け。スーパーバンタム級に上げるも連敗で迎えた97年11月、バンタム級に戻してのシリモンコン戦で劇的勝利。2度防衛後、ウィラポンに敗れて陥落。1度は引退表明も撤回し、タイで2戦。戦績は20勝(14KO)7敗1分け。愛称「浪速のジョー」。

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