大関貴景勝が“最後のとりで”として、不名誉な記録を回避した。

正代との激しい攻防を制して勝ち越しを決めた。すでに御嶽海、正代の負け越しが決定していた中での一番。仮に番付上の大関全員が皆勤して負け越せば、現行のかど番制度となった69年名古屋場所以降では初めてという屈辱を免れたが「結果論なので、一生懸命100%出し切った自分が弱いだけ。あまり考えずに一生懸命やろうと思った」と淡々としていた。