大相撲名古屋場所(7月9日初日、ドルフィンズアリーナ)で、豊昇龍(24=立浪)、大栄翔(29=追手風)、若元春(29=荒汐)の3関脇が大関とりに挑む。3人同時に昇進となれば史上初の快挙になる。日刊スポーツでは「歴代大関が語る昇進場所」と題して、大関経験者の親方に、昇進に必要な「心・技・体」を聞いた。第6回は元琴風の尾車親方(66)。

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「まわり道をしたけれど 夢が叶えばいいさ いいさ」。大関昇進の1年後の1982年10月に「まわり道」で歌手デビューした琴風(現尾車親方)は、2度の大けがを乗り越えて協会の看板力士になった苦労人。自身の生きざまを重ね合わせたその歌は計50万枚を売り上げるヒット作となった。当時を思い返した尾車親方は「(作詞の)なかにし礼先生が『あんたの相撲人生を男と女の歌にして作った』と言ってくれてね」と照れくさそうに笑った。

28歳で現役引退するまでの力士人生はまさに、その歌の通りだった。18歳で新十両、19歳で新入幕、21歳だった78年名古屋場所で新関脇と順調に出世を果たすも、左膝靱帯(じんたい)断裂の重傷を負い幕下30枚目まで降格。1年半かけて関脇に戻るも、またしても左膝に大けが。「膝に力が入らない。踏ん張っているつもりでも、土俵で動きが止まると膝がカクンと崩れ落ちてしまう怖さがあった」。

2度のけがで学んだのは、とにかく自分から前に出ること。体を上下に振って前に出る代名詞の「がぶり寄り」を武器に、81年春場所で関脇に再復帰。同年夏、名古屋場所で計19勝を挙げて大関とりとなった81年秋場所。前の名古屋では千代の富士が横綱に昇進して大関不在。そのチャンスを逃さず、12勝3敗で初優勝を飾った。「けがで苦労したから、相撲の神様がご褒美をくれたんだろうなと思った」。70年代の昇進の目安は現在の33勝ではなく30勝だったため、結果的に3場所31勝で大関昇進に異論は出なかった。

「昇進伝達式の後は不安で寝込むほどだった。不安を取り除こうと稽古に明け暮れた。千代の富士さんによく稽古をつけてもらった」と懐かしむ。在位22場所について「自分の中では大関を全うできた」と一切の後悔はない。

新大関霧島の誕生など昨今の角界は「コロナの影響で停滞していた感じだったが、ようやく番付的にはせき止められていたものが押し流されて変化が出てきた」とみる。名古屋場所で大関とりに挑む3関脇(豊昇龍、大栄翔、若元春)についても「新たな風を巻き起こしてほしい」と期待する。

大関とりに必要な心技体について「(優先度は)心→技→体の順番通りだと思っている」。常に高みを追い求める人こそが大関の地位にふさわしいと考える。「大関になっても、守りに入った瞬間、人は成長できなくなる。大関は通過点と捉えてほしい」と呼び掛けた。【平山連】

◆尾車浩一(おぐるま・こういち)本名・中山浩一。1957年(昭32)4月26日、三重・津市生まれ。元横綱琴桜の内弟子となり佐渡ケ嶽部屋に入門後、71年名古屋場所初土俵。75年九州場所で新十両。77年初場所で新入幕。81年秋場所後に大関昇進。85年九州場所を最後に現役引退。通算561勝352敗102休。優勝2回、殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞1回。金星6個。

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