大相撲名古屋場所(7月9日初日、ドルフィンズアリーナ)で、豊昇龍(24=立浪)、大栄翔(29=追手風)、若元春(29=荒汐)の3関脇が大関とりに挑む。3人同時に昇進となれば史上初の快挙になる。日刊スポーツでは「歴代大関が語る昇進場所」と題して、大関経験者の親方に、昇進に必要な「心・技・体」を聞いた。第3回は元栃東の玉ノ井親方(46)。

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本当に大関になれるのか-。元栃東の玉ノ井親方は当時、自分の力を疑いたくなるほどの不安に襲われていた。2000年秋場所の最初の大関とりは右肩の脱臼で6日目から無念の途中休場。西前頭4枚目まで番付を落とした。それだけに直近2場所で計22勝を挙げ、昇進目安の33勝にあと11勝と迫った2度目の大関とりの01年九州場所に懸ける思いは強かった。「これで大関になれなかったら、もうダメだ。最後という気持ちでしたね」。

勝負の01年九州場所。初日から7連勝と好発進した。中日に闘牙、11日目に魁皇に敗れるも、連敗はしない。13日目に琴ノ若を押し出して11勝目を挙げて、昇進目安の33勝に到達。「3日残して11勝に届いたから、気持ちが楽になった」。14日目に横綱武蔵丸に敗れたものの、千秋楽に武双山をはたき込んで12勝に上乗せ。33勝を1勝上回る34勝での大関昇進となった。

殻を破れた要因は出稽古だった。当時の部屋には他に幕内力士がおらず、好敵手を求め出稽古を重ねた。盛んに足を運んだのは、JR鶯谷駅近くにあった武蔵川部屋。横綱武蔵丸を筆頭に、武双山、出島、雅山と多種多様な上位陣の所属力士の胸を借りた。

玉ノ井親方 上背が高い人との対応に慣れていなかったから、本当に(武蔵川部屋には)よく行った。大関に上がれたのは、武蔵川部屋の存在が大きかった。

新大関として臨んだ02年初場所は初日から破竹の11連勝で波に乗り、13勝2敗で初優勝を飾った。180センチと角界では決して大きくない体だったが、左おっつけから繰り出す技巧派相撲は父で初代栃東の先代玉ノ井親方譲りとファンをうならせた。大関在位30場所で計3回の優勝。「大関とりの半年間(3場所)は意識してつらかったけど、大関になって追う側から追われる側になるのもまた大変だった」。

3関脇(豊昇龍、大栄翔、若元春)の大関とりに必要な「心・技・体」については「心が最も大事。自分は出稽古に行きながら、自信をつけさせてもらった」と胸を借りた実力力士たちへの感謝を口にした。各部屋を行き来しながら、稽古場で切磋琢磨(せっさたくま)する光景は今も変わらない。「出稽古でどれだけ調子を上げていくか。3人の活躍が楽しみ」。かつての自分を重ね合わせて顔をほころばせた。【平山連】

◆玉ノ井太祐(たまのい・だいすけ)本名志賀太祐。1976年(昭51)11月9日、東京都足立区生まれ。父は元関脇栃東。94年九州場所初土俵、96年夏場所新十両、同九州場所新入幕。01年九州場所後に大関昇進し、02年初場所で3組目の親子V、史上7人目の新大関V、同2人目の各段制覇を達成。07年夏場所を最後に現役引退。通算560勝317敗169休。殊勲賞3回、敢闘賞2回、技能賞7回。金星4個。

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