「コロナは必ず克服できる」と、悲運のレスラー工藤章氏(アメニティコーポレーション社長、東京都レスリング協会副会長)は、オリンピック開催の年に「伊豆大島を楽しめる場所に」と新たな事業への挑戦を決めた。

同氏は岩手・宮古高校から専修大学に進んだ。工藤選手の高速タックルは有名で「マングース」と恐れられ、1年先輩の吉田沙保里氏の父、故勝栄さんは、「これは武器になる」と沙保里氏に伝授したともいわれる。1974年(昭49)のアジア大会で金。76年モントリオール五輪は「金が確実」と言われたが、バッドマーク方式(減点方式)で各選手に6点が与えられ、引き分けが2点減点のため、結果的に1度も負けないで6回戦で失格となり3位の銅に甘んじた。「これはおかしい」と議論が沸騰したが、「審判の処分で終わり」帰国後あっさり引退してしまう。

高校からの同級生で妻の久美子さんは「レスリングは大学まで(工藤氏)」と決めていたようで「試合前の数日間はヤクルト1本にもかかわらず、好きな物を食べろ。子どもに腹いっぱい食べさせたい」が工藤氏の口癖だったと明かす。

三信電気を経て79年起業し、84年アメニティコーポレーションを設立した。「子ども2人の遊び場は仕事現場」(長男強氏)と夫婦2人でスポーツ用品販売や清掃業務を行い、誠実な人柄で自社ビルと社員350人の企業に成長した。今後は「専修大学のセミナーハウスがあった伊豆大島町に恩返ししたい」と、東京・大島町のゴルフ施設「伊豆大島リゾートゴルフクラブ」の運営に挑む。

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