篠田正浩監督の「舞姫」のロケ取材で東ベルリンを訪れたのは88年秋のことだ。東西を隔てる「チェックポイント・チャーリー」と呼ばれる検問所のものものしい警戒ぶりを覚えている。ベルリンの壁が崩壊したのは翌年の11月。鉄壁に見えた境界線が、わずか1年後にはいとも簡単に取り壊された。築かれたのは61年。消えてしまえば、寿命30年は歴史上の点にすぎないのかもしれない。

「東ベルリンから来た女」(12年)などで知られるクリスティアン・ベッツォルト監督は「ベルリンはそれ自身の歴史をどんどん消し去っている都市でもあります」と言う。そんな人工的な街に、ミスマッチとも思える神話を絡めたユニークなラブストーリーが26日公開の「水を抱く女」だ。

モチーフとなっているのはギリシャ神話に由来する水の精ウンディーネ。監督は、沼地を排水処理して建てられたベルリンの成り立ちからこの組み合わせを思い付いたという。

博物館でガイドをしているウンディーネは恋人ヨハネスに振られて悲嘆にくれている。「愛を裏切るならば、あなたを殺さなくてはいけなくなる」。純朴そうでどこか謎めいた彼女は、そんな恐ろしいことも口にする。一方で、彼女のガイドを聞いて好意を持ったクリストフが声を掛けてきた。郊外のダム湖で潜水作業員をしている彼はヨハネスとは対照的に愛情深く、彼女はしだいにひかれていく。「水」を媒介にした運命のような恋。だが、彼が作業中に瀕死(ひんし)の事故に遭ったことをきっかけにウンディーネは自らの「正体」と向き合わざるを得なくなって…。

ウンディーネにふんするのはフランソワ・オゾン監督の「婚約者の友人」(16年)で主演に抜てきされたパウラ・ベーア。1点を見詰める目が怖いほどの好演だ。クリストフ役はダンサー、振付師でもあるフランツ・ロゴフツキ。憂いの表情に深い愛を実感させる。

近代都市ベルリン、郊外の自然、そして神秘的な水中世界-巧みな場面転換にメリハリがあり、繰り返し流されるバッハの旋律が神話と現実をいつの間にか融合させる。リチャード・フライシャー監督の「海底二万里」(54年)に感銘したというベッツォルト監督が描く水中の造形物も見どころであり、物語のカギともなっている。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)