連載「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」の青山新(21)の第2回です。作曲家水森英夫氏(71)に中学2年で弟子入りして約5年間、修業しました。果たしてデビューできるのかと焦る気持ちもあったといいます。葛藤の日々に、日刊スポーツ笹森文彦記者が迫ります。

さらなる活躍が期待される青山新(撮影・足立雅史)
さらなる活躍が期待される青山新(撮影・足立雅史)

ごく普通の家庭に育ち、小学生時代は、ほぼ毎日サッカーに明け暮れた。自宅近くで母方の祖母が美容院を経営していた。よく遊びに行き、髪も切ってもらった。有線放送で演歌や歌謡曲が流れていた。

青山 おばあちゃんは小さい頃、歌手になりたかったようで、芸能界に憧れていたんです。でもかなわなかった。それでもカラオケ教室に通い、ある時、大会に出ることになり、門倉有希さんの「ノラ」のCDを流して練習していたら、子供だったから早いんでしょうね。僕のほうが先に覚えてしまった。5歳の時でした。有線が流れている環境が好きで、それで演歌がいいなって思うようになったのかなと思います。

サッカーに夢中になっていた時代の青山新
サッカーに夢中になっていた時代の青山新

小学2、3年生の頃から、ものまね番組が大好きになった。コロッケが五木ひろしや八代亜紀のまねをするのが面白くて食い入るように見た。

青山 演歌を聴くために見ていたわけじゃないんですけど、コロッケさんが面白くておかしくて。自然と歌も入ってくるようになって覚えちゃったんです。演歌や歌謡曲は覚えやすいのが1つの魅力かなと思うんですけど、いつしかいろんな曲を口ずさむようになったんです。

祖母とは仲が良く、よくカラオケボックスに一緒に行った。本格的にサッカーをやっていたので息抜きになればと思っていた。ところがある時、祖母が知らない間に、自分をカラオケ大会にエントリーしていることが分かった。

青山 最初は「え~」と思いました。でもその時、坂本冬美さんの「また君に恋してる」を歌ったんですけど、人前で歌うことがとても楽しくなり、それ以降、時々出場するようになりました。

中学2年の時に転機が訪れた。カラオケ大会で北山たけしの「流星カシオペア」を歌うと、審査員から声を掛けられた。審査員は、氷川きよしや山内惠介を育てた作曲家の水森英夫氏を紹介してくれた。自宅のある千葉から週2回、東京・初台の水森氏の自宅に通ってレッスンを受ける日々が始まった。

青山 当時、最年少の弟子でした。「10カ月レッスンして、歌手になれると思ったら引き続きレッスンする。無理だと思ったら辞めさせる」とはっきりおっしゃっていました。10カ月たったなと思った時、先生は何もおっしゃらず、いつもの通りレッスンしてくれたので、弟子として認めら

れたのかなと思いました。

レッスンは発声練習から始まる。先輩の弟子と一緒に行う。その後、先輩の個人レッスンになって、それを見て聴いて、メモを取って勉強する。長い人もいれば5分で終わる人もいる。

青山 カラオケでマイクを通して、というのがあたり前だったので、ギター(伴奏)で地声で歌うのは初めてで、歌いづらさというのがありましたし、声はやみくもに叫ぶだけで出るというものではなくて、先生は論理的に出しどころというのを説明してくださった。100%ではありませんが、何となくつかめるまでに3、4年かかりました。

個人レッスンでは昭和の名曲を100曲以上課題曲として出され、何度も何度も歌った。

青山 繰り返し歌うんですけど、昔の名曲というのは音域も広かったりするので、非常に勉強になります。歌っていく中で、自分の合う合わないというのを見定めていただいて、合わない曲はその後、一切歌わない。合う曲を歌っていくと自分の調子が上がっていくんです。

課題曲の中に、石原裕次郎さんや小林旭の曲もあった。水森氏は「青山の歌い方には哀愁がある。そういう世界が合っている」と感じた。それが裕次郎さんや小林旭が支えた日活映画黄金期の主題歌の雰囲気だった。

青山 僕の特徴はロングトーン(一定の声を長く出し続ける発声法)で、発声も声を前にバンと出す、当てるということを意識しています。歌謡界大全盛の頃は、出だしの一声を聴いただけで、ああ、この歌は誰って分かった。プロとして持っていなければいけないものと思っています。青山新だ、とすぐ分かる自分の特徴をつくっていきたいと思います。

実は焦り、悩んだ時期もあった。修業が2年、3年、そして4年となると「まだデビューできないのか」と思うこともあった。デビューを待ち望む祖母もやがて「いつなの?」と口にしなくなった。ある時、レッスン中に水森氏からずばりと指摘された。

青山 先生が「お前、何か焦っているか。歌が焦っている」って。そして「デビューが一番大事なのじゃなくて、まずは芸を磨くことが大事で、その先にデビューがあるんだ」とおっしゃって。そのあたり前のことを忘れていたんですね。反省しました。いろいろ目標はあります。こういう舞台で歌いたいとか、こういう歌手になりたいとか、あります。でも冷静になって、一歩引いて、あっ、まだ芸を磨かなきゃと思える人でありたい。目先のことや将来のことばかり考えるのではなく、身近なことをコツコツと、です。

水森氏は青山に関して高校は卒業させたいと思っていた。それが5年の修業となった。そしてついに「青山、デビュー決まったからな」と言われた。それは、老舗レコード会社のテイチクエンタテインメント創立85周年と芸能プロダクション芸映の創立60周年が重なるダブル記念アーティストとしてのデビューだった。(つづく)

◆青山新(あおやま・しん)2000年(平12)5月30日、千葉県生まれ。20年2月5日に「仕方ないのさ」(作詞・麻こよみ、作曲・水森英夫、編曲・伊戸のりお)でデビュー。キャッチフレーズは「歌にまっすぐな19歳」。今年2月3日に第2弾「霧雨に夜は更ける」(作詞・麻こよみ、作曲・水森英夫、編曲・伊戸のりお)を発売。趣味はサッカー、ギター、書道、クレーンゲーム機、ビリヤード。特技の模写はプロ級。好きなアーティストは八代亜紀、青江三奈、前川清、山本譲二。175センチ、55キロ。血液型O。