新派女優の水谷八重子が87歳で亡くなりました。母は昭和を代表する女優で、新派の大看板だった初代水谷八重子さん、父は歌舞伎界きっての二枚目役者だった14代目守田勘彌さん。2人は八重子さんが幼い時に別れ、離婚後に勘彌さんが歌舞伎の後継者として養子に迎えたのが現在の坂東玉三郎さんです。

八重子さんは16歳の時に歌舞伎座の新派公演で「水谷良重」を名乗って初舞台を踏みました。映画、ドラマでも活躍する一方、歌手としてもNHK紅白歌合戦に出場して「キサス・キサス・キサス」を歌い、ミュージカル草創期にブロードウェーミュージカル「ノーストリングス」にも出演しました。

その後は新派の中心俳優となり、母の没後の1995年には水谷八重子を2代目として襲名しました。2年後には創立140年を迎える歴史ある新派ですが、最近は公演の回数がめっきり減っていました。そのため、八重子さんは取材で会うたびに記者たちに「新派をよろしくお願いしますね」と声をかけることが多くなりました。その言葉からは、新派の歴史を絶やしてはいけないという強い思いを感じました。

友近さんが一字違いの大御所演歌歌手「水谷千恵子」として活動を始めた時も、「面白いわね」と気にすることはなく、「水谷八重子」の名が若い人にも知られるようになったことを喜んでいました。おおらかで、懐の深い人でした。

24年に2600人の俳優たちが加入する「日本俳優連合」の理事長に就任しました。同連合は俳優の出演条件などの権利を守るための組織で、前理事長は西田敏行さんでした。西田さんが亡くなった後、後継の理事長就任を依頼された時も、「少しでも力になれば」と引き受けました。責任感の強い人でした。

新派公演には24年「東京物語」に母親役で出演し、25年に出演した「三婆」が最後の舞台になりました。16歳の初舞台から70年、新派を愛した人生でした。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)

70年2月、親子共演をした初代水谷八重子(上)と水谷良重(2代目水谷八重子)さん
70年2月、親子共演をした初代水谷八重子(上)と水谷良重(2代目水谷八重子)さん