昨年1月に3代目桂春団治さんが亡くなり、戦後の上方落語を復興させた四天王全員が鬼籍に入った。春団治さん、6代目笑福亭松鶴さん、3代目桂米朝さん、5代目桂文枝さんの「四天王」の名跡(みょうせき)のうち、桂三枝(当時)が6代文枝を継ぎ、2月2日に4代目春団治を弟子の桂春之輔(68)が襲名することが発表された。

 襲名をめぐっては、背景に無数のドラマがある。原則として、師匠の自宅に住み込み、世話をする内弟子修業を経て独り立ちするだけに、本物の親子のような親密な関係になる。それだけに一門の総帥たちは、自らが盛んなうちから、跡目争いでもめないように頭を悩ませている。

 春団治さんが所属した松竹芸能では、松鶴の名跡をめぐって以前、厳しい話し合いが繰り広げられたことがある。6代目松鶴さんの筆頭弟子、仁鶴は吉本興業へ移っていたため、襲名問題はもめ、途中で7代目に決まった松葉さんが亡くなり、死後に追善される形となった。

 これが頭にあったのか、春団治さんは跡目について遺言を残していた。指名したのは筆頭の福団治ではなく、その下の春之輔だった。

 春之輔は会見で「僕が指名された理由は、ほんま分からんのです。誰よりも師匠のファンで、ネタも完全に覚えてるけど、どの弟子よりも怒られたのが僕」と照れながら話していた。

 春之輔は女遊びが大好きで、酒飲み。芸人気質を幾分も残した人で、やんちゃっぷりが女性にもてた。師匠の3代目とは違う色気が出た高座も人気だ。

 4代目を春之輔に-。その理由は、取材嫌いだった春団治さんを生前、口説き落としてインタビューに成功したとき、自宅近くのなじみの喫茶店で答えてくれた言葉が答えだったのか。

 「生きとったら(故2代目)春蝶に継がした。せやけどなあ…弟子はみなかわいいけど、名前はひとつやからなあ。春之輔はもっとしっかりしたらなあ~。誰にでも、ほんま、かわいがられるんやけどな」

 職人肌が多い春団治一門では、出色の人当たりの良さで、他門にも顔がきく春之輔。3代目にとって、彼だけは弟子の中でも別格の存在だとすぐに分かった。骨肉の争いは避けたい-その思いから、襲名の決め手のひとつとして、人望も上がってきたのだろうか。

【村上久美子】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)