名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第35回は、渡辺美里の大ヒット曲「My Revolution」です。卓越した音楽的センスを持つ美里に対して、当時まだ無名に近かった小室哲哉が起こした、ある行動が曲の誕生につながりました。。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

当時18歳の渡辺美里は、レコーディングを繰り返す毎日だった。既にデビューはしていたが、新曲やアルバムの発売など、具体的な目標は二の次だった。「いい歌を、美里らしい歌を歌うために」と、スタジオで音楽制作に没頭した。約2年で、アルバム4枚分の曲が出来上がるほど、密度の濃い日々だった。

ある日、修業の場のようでもあったスタジオのピアノに、小室哲哉が座った。作ったばかりの曲が、けん盤からはじき出されると、美里は体が震えてくるのが分かった。「My Revolution」を初めて耳にした瞬間だった。

その後、プロデューサーとして、飛ぶ鳥を落とす勢いとなった小室も、当時は「TMネットワーク」を率い、才能を評価され始めた頃で、一般的には無名に近い存在だった。小室のスタジオ訪問は、同じレコード会社の新人だった美里に、曲を“売り込む”ためだったのだ。

美里は振り返る。「哲ちゃんは、いつもいい曲を作ってきてくれました。でも『私の歌う曲じゃないな』と思ったら、素直に口に出していました。10代の時から、そうやって曲を選んできました」。小室は後年の対談番組で美里に、「あの頃、僕も毎日がオーディションだった」としみじみと語っている。

若い才能の純粋なぶつかり合いの末に生まれた「My Revolution」は、美里にとって4枚目のシングルとして、1986年(昭61)1月に発売された。8週間後にはヒットチャートのトップに躍り出た。

小室は「初めて自分の曲で大ヒットしたから、特別の思い入れはあります。後から考えると、歌い出しのメロディーなどに自分の個性が出ている曲なのかな、と思う。作詞家や作曲家の方々に少なからず影響を与えたのではないでしょうか」と話した。曲名をストレートに訳せば「私の革命」。のちに売り上げ記録を次々と塗り替えるヒットメーカーとなった小室にとっても革命的な曲だったのだ。

97年8月、12年連続となる西武球場公演を行った。ステージから一番遠いバックネット裏の客席から登場する意表を突く演出で「My Revolution」を歌った。「歌うたびに自分の中で形を変える歌ですね。10代、20代、30代。元気な時、悲しい時、それぞれの状態で、1個1個の言葉が意味を変えるから、いつも新鮮な曲です」。

まだ自分の中で革命を経験していないという美里は言う。「『わかり始めたMy Revolution』と歌っていた割に、分かり始めたのは最近ですね(笑い)。私はこういうことができるっていうのが、ちょっとずつ見えてきた感じです。時代に逆行してでも、しっかりと足跡の残る歌をこれからも歌っていくこと。それが私の革命なのかもしれません」。【特別取材班】


※この記事は97年12月3日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。