昨年82歳で死去した歌手橋幸夫さんの「一周忌特別公演」が命日の9月4日に、東京・町田市民ホールで行われた。
夫人や所属していた夢グループの石田重廣社長に、三田明、千昌夫、伊東ゆかり、江木俊夫、桑江知子ら数多くの歌仲間が集まり、橋さんをしのんだ。
橋さんが本当は「舟木一夫」の芸名になるはずだったという逸話は有名だ。
大ヒット曲の中にも、本当は別の歌手が歌うはずだったという逸話は数多い。
岡晴夫さんが歌い大ヒットした「憧れのハワイ航路」(48年)は、今もカラオケで歌われている。
この曲は、「星影の小径」などで知られる小畑実さんが歌うことを想定して作られた。
小畑さんの人気が急上昇していた時期で、しばらく東京に戻れなかった。発売時期の都合で、岡さんにお鉢が回ってきて大ヒット。桑田佳祐や氷川きよしがカバーする名曲となった。
その岡晴夫さんも大魚を逃している。春日八郎さんの代表作「お富さん」(54年)は、岡さんのために作られた。
しかしスター歌手になっていた岡さんが、所属レコード会社を辞めてフリーになったため、急きょ若手の春日さんが歌うことになった。ミリオンヒットを記録した。
フランク永井さんの「有楽町で逢いましょう」(57年)は、大阪が地盤の百貨店そごうが東京・有楽町に進出した際のキャッチフレーズ「有楽町で逢いましょう」から生まれたキャンペーンソングだった。
当初「落葉しぐれ」などで知られる三浦洸一さんが歌う予定だった。
しかし作曲家の吉田正氏が、フランクさんを強く推薦した。当時、ジャズシンガーから歌謡曲に転向したばかりで、ヒットはなかったが、独特の低音が魅力だった。
この曲のヒットを足掛かりに4年後、「君恋し」で第3回日本レコード大賞の大賞を獲得した。
内山田洋とクール・ファイブのヒット曲「噂の女」(70年)は、森進一のために作られた作品だった。
ボーカルだった前川清がテレビ番組で、作曲した猪俣公章氏が「森に断られた」と話していたことを明かしている。
当時の森は「港町ブルース」(69年)が大ヒットし、第11回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。出場2回目のNHK紅白歌合戦で、白組トリで同曲を歌唱するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
翌70年には新曲を4曲発表するなど超多忙で、「噂の女」とタイミングが合わなかったようだ。
今では前川清の代表曲として知られている。
もし最初に候補になった歌手が歌っていたら、違った雰囲気のヒット曲になっていただろう。【笹森文彦】





