故春日野八千代さんの後継として雪組トップから専科へ移り、劇団理事まで務めた轟悠が、10月1日付で退団する。最後の舞台は星組公演「婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)」で、シアター・ドラマシティ(大阪)で上演中(15日まで)。轟が「日本舞踊を」と望み、演出は植田紳爾氏が担った。東京芸術劇場プレイハウス公演(21~29日)を終えた後は、ディナーショーなどを経て、男役37年目で幕を引く。

最後の取材は、和物にちなみ、和装で臨んだ轟悠(撮影・清水貴仁)
最後の取材は、和物にちなみ、和装で臨んだ轟悠(撮影・清水貴仁)

最後の舞台にあたっても、稽古からぶれはなし。

「感傷に浸っている時間がなくて。私が教えられ、学んできたものを、下級生に伝え、形を見せたい気持ちが強くありました」

男役の中の男役と言われるレット・バトラー(風と共に去りぬ)を何度も演じた「男役の教科書」。最後に臨む芝居は和物だった。

「私から『日本舞踊を踊りたい』と、希望を出させていただき、日本物に」。日本舞踊の場面もある。演出の植田紳爾氏が「お客様へのサービスとして」設けてくれたという。

植田氏が手がけた「風と-」のバトラーは、轟の代表作のひとつ。「ギリシャ彫刻のよう」と評されてきた轟の顔立ちから、あふれ出る男の色気と包容力。「大人の男」の理想像として、後輩誰もが目指す姿だ。

「植田先生の作品で初舞台を踏み、雪組トップに就任しましたおり、ふと、退団するときは『植田先生の作品で退団したい』と思った。現実になっていることにびっくりしております」

故郷、熊本出身の後輩で宙組トップ真風涼帆は、轟から「品格」を説かれたと明かしていたが、実は…。

「その言葉は、春日野(八千代)先生のお言葉です。『宝塚の品格は保ちなさい』と。私が思うに、この100年以上の歴史の中で、多くの方々が愛情をもって高みを目指してこられ、今があると思う。先輩方の血のにじむような思いの中に、私たちは立たせてもらっていると思う」

感謝の気持ちを忘れず、多くの支えがあってこそ成り立つ。そう自覚すれば「自由に好きなことをすればいいのではなく、舞台に集中してオフも生活をし、夢の世界にふさわしくない言動は慎む。基本中の基本だと思います」と言い切る。ただ、生徒が置かれる環境の変容も感じている。

「3~4年(間隔が)あけば『私たちとまた違う人種が…』となって、それは皆様の会社でもそうでしょう? ただ、宝塚が大好き、この舞台に立ちたいという思いは同じ。毎年、初舞台生もみな、同じ方向に向かっております」

1世紀を超えて受け継がれる思いは不変と信じる。

「昔は携帯もなく、今思えば不便な中、お稽古していました。でも今は、便利ゆえにわずらわしいこともある。ですが、私は、人間は永遠にアナログだと思っております。けがをすれば血も出ますし、感情もあります。舞台人として、すべての感覚を使って演じて、お客様にその世界に浸っていただく、これ以外に何もないと思っています」

未来を担う後輩へ残すメッセージもシンプルだ。

「今、この瞬間を大切にしてほしい。上級生の背中を見てアドバイスを受け、先生にご指導いただき…。自分自身は映画や本、音楽、絵画などを勉強する。自分自身の中の問題ですね」

さらに、こう続けた。

「この仕事が本当に好きなのか。自分の存在場所はどこなのか-。普段の生活、お稽古場にも答え、情報が転がっている。早く気づき、見つけて欲しい」

轟自身、“気づき”を経て今に至る。

「私もひとつずつ気づいてきた。宝塚に在籍していた年数ではなく、その中身の濃さ。時間の使い方を大切にして、あきらめないで取り組んで、甘えずに、焦らずに、ですね。これからの宝塚歌劇が私も楽しみ。応援したいです」

後輩に金言を残し、ファンの声援には「この上ない喜び」だったと語った。

「コロナ禍で(観劇は)ご家族の反対もあったことと思います。応援したいという気持ちはありがたい。そして今までも、私を応援しようと思ってくださったこと、皆さんの人生の一部にしていただけたことが、この上ない喜びです」

退団後は「決めていないというのが正直なところ」としつつも、「風の便りで、皆様のお耳に(活動情報が)入ればいいかな」と言い、未来をにおわせて、締めた。【村上久美子】

◆戯作「婆娑羅(ばさら)の玄孫(やしゃご)」(作・演出=植田紳爾) 江戸時代、長屋暮らしで「婆娑羅の玄孫」と親しまれた細石蔵之介を主人公に描く。「婆娑羅大名」と呼ばれた佐々木道誉の子孫で、佐々木家当主の次男ながら、母の身分が低く家名を名乗れずにいた。だが学問や剣術に加えて歌道、茶道と非凡な才を持ち、地域の子どもたちに教えていた。正義感にもあふれる蔵之介だったが、佐々木家取りつぶしの一報を受け、動く。

<轟の思いくんだ書き下ろしオリジナル作>

植田氏も劇団も、轟の思いをくみ、オリジナル作を書き下ろした。轟は、植田氏から希望を聞かれ「明るく楽しいものに-とだけは、ずうずうしくもお願いしました」と明かした。

江戸時代の長屋を舞台に武家の次男、細石蔵之介をさわやかに演じる。文武に多才で、子供たちを指導していたが、お家の危機を知り立ち上がる流れだ。

「長屋では身分を隠しながらも正義感が強く、世話焼き。2幕の終わりには、ずっとついてきてくれた爺(じい)との別れもあり、爺の言葉にはっと気づかされつつも、迷いもなく進む」

植田氏によるあて書きだけに、轟自身、心境がリンクする部分も多い。

「必然的に『別れ、それは出会いである』とか、そういったセリフもありますし、主題歌も『とどろけ』で、何度もフレーズが…。ちょっと美化しすぎかな(笑い)。苦笑いしながら、頑張ってまいりました」

1幕は軽快に進み、2幕で主人公が人生の転機を迎え、苦悩しつつも、次の1歩へと踏み出す。専科の汝鳥伶も出演。どうしても、轟自身の退団に、主人公の生きざまは重なり合わさる。

「汝鳥さんのお力を十二分にお借りして。植田先生も、ラストステージのような本を書かれていますので、ファンの皆様には、そういった思いにさせてしまうかな? という部分はありますが、それも含めて、楽しんでいただきたいです」

<平常心で去る>

今作稽古の合間、寺田瀧雄没後20年メモリアルコンサートへ出演。学年、男役、女役にかかわらず、宝塚音楽学校時代から胸に刻み続ける「清く正しく美しく」の姿勢、誇り、大勢のOGのエネルギーに触れた。「舞台の袖から感動しました」。10月1日の退団日までに、ディナーショーも控える。「構成はいつもと同じ。『これでサヨナラ』ではなく『いつもの轟さんだった』と思ってもらえるように」。平常心で去る。

☆轟悠(とどろき・ゆう)8月11日、熊本県生まれ。85年入団。97年雪組トップ。02年に故春日野八千代さんの後継として専科へ、03年から理事に就き、昨年7月に退任、特別顧問に就いた。00年「凱旋門」で文化庁芸術祭優秀賞、02年「風と共に去りぬ」で菊田一夫演劇賞。趣味は油彩画、デッサン画。168センチ。愛称「トム」「イシサン」。